こんばんはぴよぴよ侍です
私のブログを読んで下さっている方には、「よく神社仏閣へ参拝する」「先祖供養もしっかりしている」といった方も多くいらっしゃるのではないでしょうか
そのような信仰心の強い方やご先祖様を大切にしている方は日々、神仏やご先祖様達のさり気ない後押しや守護、お導きなどによってお力添えを得たり、お助け頂いたりすることがあります
「そんなこと、言われなくても知ってるよ」と仰られる方も中にはいらっしゃると思います
でも、その有り難さを本当に理解している方はどれくらい居るんだろうと思うことがあります
何か良い出来事が起きた時間一髪助かった時……そんな時に「神様が助けて下さったのかも」と気付く方が多いのではないでしょうか
そんな時、皆さんはきっと「神様仏様ご先祖様、ありがとうございます」と感謝の気持ちをお伝えしたりだとか、人によってはお供え物やお酒を奉納するなどの手段で感謝の心をお伝えしたりすることもあると思います
それは、本当に素晴らしいことで、感謝の心はきっと伝わっていることと思います
でも、ここで1つ記憶の片隅にでも仕舞っておいて欲しいなと思うことがあります
それは「神様仏様ご先祖様や守護の方々は、日常のなんてことないシーンにおいても、こっそりさり気なくお力添えして下さっている」ということです
普段私達が見逃してしまいがちな日常のワンシーンでも、さり気なく何も言わずにアピールすることもなく助けて頂いたり導いて頂いたり……私達が気付かないところであっても、気付くような場面であっても変わりなく、神様達は私達をお守りくださっているのです
そこには、「助けた礼にお供え物が欲しい」「守ってやったのだから、酒を奉納して欲しい」等といった見返りを求める心は一切ありません
只々、黙ってお守り下さっているんです
神様達はこのような形で「無償の愛」を私達に教えて下さっているのかなと、私は勝手に思っています
神仏の声が聞こえるだとか、姿が見えるだとか何も感じないだとかは全く関係ありません
どんな人でも、気付かないうちに神仏やご先祖様達の恩恵、無償の愛は間違いなく受けとっているんです
だからといって、日々生活を送る中、いつ如何なる時も「ああ私は今日も五体満足で元気に歩けている神様ありがとうございます」「今日も呼吸ができて幸せだ仏様ありがとうございます」等と、ことあるごとに意識し続けることは綺麗事を抜きにして考えると、実際のところ不可能だと思います
しかし、たまにふと気が向いた時にでも日々の感謝の気持ちをお伝えする事はできると思います
神社仏閣への定期的な参拝は、日々の感謝の心をお伝えする良い機会にもなると思います
たまには、「神恩感謝」の願意でご祈祷を受けるのも良いのではないかなと思います
祗園の街を見守って下さっている狛犬様
自慢の氏神様です
ご祈祷を受けずとも、御本尊や御祭神に祈りを捧げる時でも、お参りの道中や休憩中はもちろん、買い物やお食事の最中でも、いつだって感謝の心をお伝えする事は出来ます
そのように、神様達の「無償の愛」に気付くことができたなら、自然と愛には愛でお応えしたくなるというのが私達人間の本来もっている性(さが)というものではないでしょうか
例えば、私の場合だと色々な目的があって、神社仏閣や霊山でゴミ拾いをさせて頂いております
決して、誰かに褒められたいからだとか、認められたいから、願いを叶えてもらいたいからやっているのではありません
モチロンお褒めの言葉を頂いた時は嬉しい気持ちになりますが
ゴミ拾いをしている理由の一つに、「神仏や祖霊、自然達への恩返し」というものがあります
私は、経済的な理由からご祈祷も滅多に受けられないし、寺社への寄付や寄進、お賽銭を弾んだり、高額なお酒や食物の奉納なども殆どすることができません
ですから、現実的にはあまり寺社へ貢献することはできておらず、情けない限りです
自分勝手な事情ですから、言い訳するつもりも同情を誘うつもりもありません
そんな私に出来る神様達への恩返しは何か
そう考えた時に思い付いたのがゴミ拾いでした
境内や参道を綺麗にすることで、神仏や御眷属だけではなく、参拝に来られた方や観光に来られた方に「この神社に来て良かった」「またお参りに来たいな」「綺麗な神社だったな」と思って頂けたなら、私やその人達はもちろん、その寺社の神仏や御眷属達にとっても素晴らしく喜ばしいことだと思っています
「神仏が笑顔になることで人々も笑顔になる」と私は思っていて、だからこそ頑張れるし、普段私が気付いていないところでもお守り頂けていると思うと、たとえ神仏や人々が見ていなくても、誰からも感謝されなくても手は抜けません
むしろ、大変ですね等とお声掛けして頂くことが多いですが、私はゴミ拾いを楽しんでやっています
そりゃ、しんどいと思う時やムキーッとなることもありますけどねにんげんだもの
本当に小さな小さなことですが、神様の幸せは私の幸せでもあり、皆の幸せだと思えば、むしろそのお手伝いをさせて頂けることが凄く幸せで……幸せの連鎖とは、このようにして続くんだなと、気付かせて頂けたことに、これまた幸せな気持ちになりました
私の場合は経済的には厳しいけれども、体力的には余裕があるということで、ゴミ拾いを通じて「無償の愛」を学んでいる最中ではありますが、人によって事情は様々ですから、学びの道は人それぞれだと思います
皆さんも是非、自分に何ができるのか自分は何をしたいのか
そこを考えてみるところから始めてみて、無理なく自分が楽しめる事で「神様達への恩返し」を習慣づけていくのはどうでしょうか
狛犬様や狛牛様、狛狐様達についた枯れ葉を払ったり、前掛けを奉納する事も立派な恩返しです
神様を想って描いた絵を奉納する事だって立派な恩返しですよね
心から神様を想い参拝することだって立派な恩返しです
神様ありがとうございます〜とお声掛けしても喜んで頂けるでしょう
どうか、このブログを読んで下さっている物好きな皆さん方にとって少しでも学びとなり、気付きを得られるようなブログを書いていけたらいいなと思います
めっちゃ唐突ですが、伏見稲荷大社へ参拝される際は、是非伏見神寶神社にもお参りして頂けると嬉しいなぁなんて思っています
伏見稲荷は本当にいつもウキウキワクワクする神社ですね
真っ昼間の伏見稲荷で人が多いはずなのに、写真を撮らせて頂く時、不思議なことに人が居なくなって落ち着いて撮らせて頂けたのはお稲荷様達のお心遣いなのかもと思います
感謝感謝です
その分、美しく撮らせて頂いて、写真をご覧になられた方が「此処にお参りしたいな」と思って頂けるように頑張ります
たまに自分で撮らせて頂いた写真を見返した時、不思議な感覚なのですが、なんとなく立体的に見えるような気がしたり、心が明るくなるような気がしたりした時は上手く撮らせて頂けたのかなと思っております
昔、眼力社の守役をされておられた方に「ここの火を撮ってみて下さい、火が不思議な形になることもあるんですよ」と仰って頂いてから、眼力社にお参りさせて頂いた時に、たまに火を撮らせて頂くようになりました
本来は載せないでおこうと思っていた写真ですが、特別に載せさせて頂きます
「こっちこっち〜」と呼ばれた気がして、声のする方へ進んだ先にいらっしゃいました
わかる方にはわかると思います