おはようございますぴよぴよ侍です
今回は久し振りに参拝させて頂くことができた石切劔箭神社と、初めて参拝させて頂くことができた枚岡神社の参拝記録を書かせて頂きます
東大阪市にございます石切劔箭神社は、私にとって非常に大切な神社の一つです
母は一度流産を経験した後、兵庫県宝塚市の中山寺にて子どもを授かりますようにと祈願し、願いが叶って私を妊娠した後に再び流産の危機に陥ったのですが、その際に無事お腹の子(私)を産むことができますようにと祈願してくれたのが石切劔箭神社です
もちろん、中山寺へも石切劔箭神社へも礼を欠くことなく、母は元々身体が弱いながらも可能な時はお参りに行くことを続けています
石切劔箭神社も中山寺も、母方のご先祖様の代から崇敬していてよく参拝させて頂きお世話になっている神社仏閣の一つですし、私にとっては命の恩神(仏)で特別な寺社であり神仏です
こんなことを書くとお前如きが何を偉そうな事を言うてんねんとお叱りを受けるかも知れませんが、私にとって中山寺の仏様と石切様は崇敬する神仏でもあり、ご先祖様のようでもあり、親のようでもあり、良き理解者でもあり、私の信仰心の中核を担う、産まれる前からこれからもずっと人生を共にする神仏でもあります
ですから、今回無事に石切様へ参拝させて頂くことができて本当に嬉しかったです
私は普段中々遠出ができませんので
此処に着くと石切様にお会いできるんだといつも心がウキウキします
一般的には加持祈祷といえば仏教の儀式でありますが、石切剣箭神社に伝わる加持祈祷とは仏教伝来以前の物部氏の時代から伝わる加持祈祷であり、神仏習合の影響によるものではありません
『でんぼの神様』として知られる石切剣箭神社ですが、元々は『伝法(古来より物部氏に伝わる
禁厭の秘法)』が訛って『でんぼ』となったという背景があります
が、加持祈祷といえば仏教とのイメージが強く、戦前は『神社で加持祈祷とは怪しからん』と裁判にまで発展したこともあるそうです
明治維新後の政府は『神社非宗教論』を採用しており、神社における宗教行事全般に否定的な態度をとったといいます
しかし神道の中でも神社界において神道独自の教義を体系化し多大な影響力を持っていた吉田神道には『神道加持』というものが存在するため、古代からの伝統を守り神社で加持祈祷を行うことを認めてもらうため、当時の宮司さんは吉田神社まで歩いて加持祈祷を習いにいったとのことです
やはり本物の方は神仏や寺社、信仰に対しての覚悟が違いますね
しかし結局は認められることはなく『加持祈祷は神社とは切り離して社家で行うように』となったそうです
吉田神道の教義に適うとなれば石切剣箭神社の加持祈祷も公認されるかも……そう考えた当時の宮司さんは必死の想いで吉田神社まで通ったのでしょうね
時を経て戦後にはその辺が自由になったので神社で加持祈祷を行える本来の姿に無事戻ったそうです
このような歴史を知ったうえで改めて思うと、自分が心惹かれ定期的に参拝させて頂くようになった神社仏閣や神仏は、実は元々御縁のある神社仏閣や神仏との深い繋がりがあることが多いなぁと驚かされます
これは神仏が御縁を繋いで下さっているのだと私は感じていて、本当に有難いことだと思っています
私達が神仏を信じているのと同じように、神仏が私達を『この子ならあの神仏に紹介しても大丈夫』と信じて下さっているからこそ、神仏との御縁は広がっていくという面もあるのだと私は思っています
実際に『こんな人間になりたい』と願掛けをした時、境内の大きな木1本だけ(枝でなく木自体)があり得ない揺れ方をして、その後にその願掛けに対応した神様の居られる神社へ導いて頂いたことがあります
これからも神仏を信じると共に、『この子なら大丈夫』と神仏に信じて頂けるような人間であれるように頑張ります
神仏を信じるだけが信仰なのではなく、神仏に信じて頂けるように努めてこそ信仰といえると私は思っています
ロクに修行もできてない能力不足の私のような者が偉そうに言うなと思われるかもしれませんね
ですが、とても大切なことだと思ったので書かせて頂きました
私はまだまだ未熟ですので、修行も兼ねてわからないことや気になること、色んな知識や考えを皆さんに教えて頂くために皆さんのブログを読ませて頂いたり、質問させて頂いたりしています
いつもありがとうございます
私のブログもどなたかのお力になれていれば嬉しく思います
※今回の件とは全く関係ないですが、月読神社での三角みくじを引かせて頂くと付いてくる石、全部で8種類あるのですが私は今まで3回引いて3回ともオニキスを引き当てています……石には詳しくないのですが、何か意味があるんでしょうね
今回もお読み頂きありがとうございます
それでは皆さんご一緒に〜……満足満足