こんばんはぴよぴよ侍です
今回は"徳を積む"という行いについてお話させて頂こうと思います
きっと、このブログを読んでくださっている方達はご存知であると思います
が、一応私的にご説明させて頂くと、"徳を積む"とは世の為人の為、はたまた自然環境の為、社会の為……何かのために善行を積むことを"徳を積む"と言います
そしてその"徳"には"陰徳"と"陽徳"の2種類が存在します
一般的に、スピ業界的には"陰徳"を積む行いの方が、より尊いと言われていて、『"陰徳"を積みましょう』等と仰られる方や、そういう考えの方が多いようです(私調べ)
人知れず善行を積む謙虚さや慎ましさを大切に思うのは日本人精神を感じますね
一方で、"陽徳"については、"陰徳"と比べてかなり軽視されているように思います
それは、極端に言うと『私はこれだけやったのよ偉いっしょ』とか、『俺はこれだけのことをやったんだだから俺のことを敬うべき』とか、『こういうことをしておけばボクは人気者になれる』とか、有名人やインフルエンサー、自己掲示欲の強い人などがそういった打算込みで本意ではないけれども良い行いをしましたよ〜とアピールしている場面を見て、下心がミエミエだみたいなイメージが強いからなのかも知れません(※私の偏見です)
ですが、例えば打算込みで善行を積んだ有名人のツイートなりブログなりを見た人達の中には、『○○さんがやっているなら、私もやってみようかな』などと思う人も出てくるかもしれません
そして実際にその有名人に触発されて、『ゴミ拾いをしてみました』とか『コンビニの募金箱に募金しました』とか、そういった人達が出てくると、それはもう素晴らしいことだと思うのです
極端な例をあげましたが、人に見えるように、たとえそれが人に見返りや礼を求めて行った下心丸出しな"陽徳を積む"行為であっても、それがたくさんの人達に良い影響を与えたならこれほど素晴らしいことはないと思います
勘違いされたくないので弁明しますが、もちろん、"陽徳"だって下心から来るようなものばかりではなく、『ゴミを拾うことで自然環境にもいいし、みんなの役にたてるんだよ一緒にゴミ拾いやろうよ』と友人を誘ってボランティア活動に勤しむ等というような、純粋に善意から積む"陽徳"だってありますからね
長くなりましたが、結局何が言いたいかというと、"陰徳"にしても"陽徳"にしても、どちらにしても"徳を積む"こと自体が尊い行為であることに違いはありませんので、無理をして"陰徳を積む"ことに固執することはありませんよ
それで息苦しくなったり辛い気持ちになったら元も子もないし、楽しみながら"徳を積む"気持ちで行きましょうというのが今回伝えたかったことであります
それでは、今回も読んで頂いてありがとうございました