2010年8月17日から、もう9年か

あの日も、今日と同じく
茹だるように暑い日でした。

今日ほんとはお墓参り行こうと思ったのですが、あまりの猛暑っぷりにくじけた。
ごめんね父

父が入院したのは4月
私はその日、家にいました。

父が80才を過ぎてからは
もと看護婦の母は、39度近い発熱のたび
救急車を呼んでいたので

またか

と思ったけど、それと同時に

あ、お父さん、このまま家には戻らないな

って思ったのでした。

なかなか熱が下がらなく、微熱が続く状態で
約2ヵ月

人間って老いてくると
病院で寝たまま毎日を過ごせば
どんどん弱るんですよね

最初のうちはお見舞いにいくたび、
帰りには病院の出口まで送ってきた父でしたが

だんだん痰が詰まるようになり、
ベッドでゼコゼコ苦しそうにするようになり

最初はナースコールを押せば直ぐに吸引に来てくれた看護士も

だんだん直ぐに来てくれなくなり
面会中にそうなった時は私も
ナースセンターに駆け込んで
看護士に早く来てくださいと言えたのですが

6月10日に母から電話があり

お父さん、呼吸停止してICUに入ったから
直ぐに帰ってきて欲しい、と。

やっぱりそうなったか。

母が病院側から聞いた話だと
食事を喉に詰まらせたと。

でも父はボケていなかったので、
後から、

ナースコールしても来てくれなかった

と、はっきり聞いた。

こういうのってどうなんだろうね。

そこからは一気に弱る父

自力呼吸が出来ないからと
気管切開手術を受け、喋れないことにひどく落ち込み、

ICUから一般病棟に戻っても
リハビリもままならない父

スパルタな看護婦に、ちっとも動かない手のかかる患者だと嫌みを言われ
これ、お見舞いに来てくれた親戚が偶然聞いてしまったんですけど、
父が喋れないってことで、
舐められたんだろうな

死にたい、殺してくれとメモに書く父

母もそれを見て落ち込み
それを聞いた私は、母にそんなこと言うな、と父を叱ってしまった。

母も父が入院してから
毎日欠かさず面会に行き、心労で
体重が65㎏から47㎏になっていたのでね

そんなこんなで、食べられない父
昔胃ガンをやっていたので胃ろうもできず
腸ろうの手術を受け、
(これも病院にグイグイすすめられた)
苦しい日々が続き
最期にはとろみ剤入れた水でも直ぐにむせてしまうので、水すらも誤飲が怖く飲ませてもらえなかった父は苦しみ抜いて

肺炎になって9年前の今日逝きました。

自分の親のことを反面教師にした訳じゃないけど

アレを見た私は、大きな病院の言う通りにするのも状況によりけりだな、

と思ってしまった
いやその前も頚部リンパ節結核やったときの医師のセクハラとか色々あったけどさ

そんでね、熱と言えば
最近の母もちょこちょこ熱を出します



9日に面会に行ったとき
吸引の器械が置かれ、氷枕をされていた母を見たとき

一気に父のことを思い出した。

この日は4日ぶりに母の面会に行ったのだけど

というのは
住んでいるマンションの外壁塗装をするので、ベランダのものを片付けろという知らせが来たから。

とうとう来たかと、必死になって母の丹精していた、でもとうに枯れた植木を片付けた3日間、面会には行かなかった。






これも大変だったわ。
他にもなんか、棚とかあったけど、最後にゃ写真なんか撮ってる余裕もなく全部処分

1つくらい植木ばちを残そうかな、この前母の実家に行ったとき、少し土もっていってまいてくれば良かったかなとかとも思ったけど、

私だって、なんちゃって余命告知受けてるわけだし、と思いながら、全部捨てたわ。

ごめんね母

でももうこれ以上、人になにかをお願いするのも嫌なんだよ。

って、話はずれましたが
このときの熱は、私が面会に行った次の日には下がり

昨日は行かなかったのだけど

今日はまた熱

さびしんぼ熱かよ。

わかんないけど
でも往診のお医者様は、血液とか特に問題ないというし

差し入れたバナナとスイカで
施設が作ってくれたシャーベットもバクバク食べているから

まだ心配ない、と思いたい

ま、いつかはそういう日が来るんだろうけど

お父さんみたいに苦しまないといいね
母も私も。