昨日は私の誕生日でした
母に朝、そのことを告げると
すっかり忘れていたわ
悪かったわね、何も用意してなくて・・・
うんうん、いいよ
そっち系は全く期待してなかったから
で、自分的に夕飯に何か美味しいものを
食べるくらいはしたいんだけど・・・
お母さんはどうする?
何食べるの?
そうねえ~・・・外でお寿司とか?
・・・・
黙っているってことは行きたいんだろうな
嫌なら即拒絶するだろうから
じゃあ、今日は仕事を早く切り上げて
7時くらいに駅から電話するから
洋服だけは着ておいてね
(ズボンをはいて、シャツを羽織っていてねってことです)
わかった。
そして、夜、
駅に着き、家に電話をすると・・・・
こんなに具合が悪いのに
外に出るなんて無理よ
うんうん、そうだね、想定内だよ。
じゃあ、私一人で行ってくるけどいい?
・・・・
とにかくゴネたかっただけで、行く気はあるらしい
家に戻ると、母はちゃんと服を着ていたので
そのまま、手を引いてお寿司屋さんへ向かいました
そのお寿司屋さんは
昔から家族で通っていたお寿司屋さん
父が亡くなり
私も一人になって地元に帰ってきて・・・
母が認知になり
今でもたま~に一人でお寿司を食べに行って
店主の大将に
母の愚痴を聞いてもらっていましたが
母が行くのは認知症になってから初めて
大将のこと覚えているかな?
と思ったら
ちゃんと覚えていました。
今日は、私の誕生日なんだ~
と言ったら、
お前、今まで知らなかったけど
(大将口悪いです)
うちの店も今日で、
ちょうど開店30周年なんだよ!
ほんとに、ここのお寿司屋さんとは
縁があるんだな・・・って
改めて思いました
このお寿司屋の大将には、いろんな意味で
ほんとお世話になっていて
私が30代に入ってすぐの頃(ちょうど厄年)
ひどい横隔膜痛で、MRI検査をしたとき
大きな腫瘍?みたいなものが映り
すい臓がんを疑われて入院しました
(私には知らされてなかったけど)
お腹に針を刺して、細胞を取ったり、
血管造影検査をしたりで
もう苦しくて死にそうな気分でした
でも、すぐには原因がわからなく
わからないまま外科に移されました
存命だった父と母は
ここのお寿司屋さんへ行って
泣きに泣いたそうです
腫瘍?の位置は手術をすると8割くらいで
危ない場所だと医師に言われていたそうで
その時私は痛みで食事もできず
朝と晩、モルヒネ点滴のお世話になっていました
あれを使うと、もっと食欲がなくなるんです
それを聞いた大将が、
原因が何もわからないのに
横隔膜の周りは切っちゃだめだぞ!
って言って
入院先までお見舞いに来てくれて
大将に足の裏をめっちゃ揉まれたんです
そりゃもう、ものすごい激痛で
だけど、どんなに痛がってもやめてくれなくて
同室の入院患者さんたちもびっくりされたんですが
その日の夕飯時にいきなり空腹を覚えて
ご飯完食。
食べた後も、全然痛くならず、そのあとも痛みが出ることがなく
後日、再度MRI検査をしたとき
直径10センチ以上あった腫瘍?は
無くなってました。
その時、医師に言われた言葉は
足裏を揉んだせいで
治ったと思わないでね
でした。(まあ、言うわな)
これ、嘘みたいだけど、本当の話なんです。
ちなみに、お腹に針を刺して取った細胞から出たのは
リンパ節に入った結核菌でした。
非常に珍しい病症だったそうです
なので、このお寿司屋さんの大将は
自分の命の恩人だと思っています
ちなみに、浮気で別れたパートナーとは付き合っていた頃で
その時もほとんど心配してくれてなかったですね
楽しく遊ぶときと自分が具合が悪い時だけ、構ってきた人
前置きが長くなりました
母は日本酒、私はビール
青柳(とっても綺麗な青柳でしょ)
アナゴの白焼き、ここの名物です
大トロ(母と私で1カンずつ)
もう大笑いするくらい美味しかった
サーモン、イワシ、イクラ
ここで母はギブアップ
お腹がいっぱいだから帰る、
と騒ぎだした。
最近また、食が細くなってきました。
う~ん、物足りない
久しぶりなんだから、もっと食べたいよ
と思ったけど
また一人で来よう、と思い直し
スーパーで母のおやつと
私の飲み直し用のかっぱえびせんを買って帰宅
(シメがえびせんって・・・)
まあ10日の土曜日には
大好きなギタリスト、木暮武彦さんのライブの帰りに
お祝いの前倒しで一人で焼肉屋へ行っていたし。
とっても美味しい焼肉屋さん
ここの焼肉屋さんのママさんともずっと前から仲良し
母の具合をいつも心配してくれます
でも一人で焼くのは寂しいし、時間も遅かったので
カルビ麺でしたけど。
美味しかった!
53歳シングルの自分の誕生祝いは
地元で好きなものを食べるという
自分的になかなか楽しいイベントになりました。