家族写真と足型を無事にとってから、主人と娘は帰宅しました。
そして、看護師さんが
「母乳を飲ませることも出来ますよ?」
と言ってくださったのですが、娘の時のように吸ってくれないのは分かっていたので、余計に辛くなってしまいそうで、お断りしました。
すると、看護師さんが母乳を止めるための薬を持って来てくれました。
薬を飲むのは辛かったですが、飲んでくれる赤ちゃんがいないのにおっぱいが張ってしまうのも哀しいので、ありがたくいただくことにしました。
看護師さんに、
「赤ちゃんのお名前決まっていますか?」
と聞かれたのですが、名前は主人に任せていたので、
「まだ決まっていません。」
と答えました。
お舅さんがかなり画数などを気にされる方なので、なかなか難しく、いくつか候補はあげていたものの、最終的に決定まではしていませんでした。
亡くなってしまったから、名前のこと考えていなかったけれど・・・。
そうだね、早く名前をつけてあげなくちゃね。
その後、赤ちゃんの身体測定をしてくれるとのことで、
「赤ちゃん少しお預かりしますね。」
と、助産師さんが赤ちゃんを連れて退室して行きました。
一人になり、赤ちゃんが帰ってくるのを待っていたのですが、1時間たっても帰ってきません。
私は出産で疲れてもいたのでウトウト・・・。
2時間後、日付が変わる頃になってようやく
「遅くなってごめんね」
と、助産師さんが赤ちゃんを連れて来てくれました。
そして赤ちゃんの写真と、身長や体重を記入したアルバムを持って来てくれました。
とっても嬉しかったです。
きっとこの病院で産まれた赤ちゃん皆にあげているものだと思うのですが、一番上の部分だけ、画用紙が二重に貼られていて、丸い枠のようになっていました。
たぶん、お誕生おめでとうとか、そういう言葉が書かれていたんじゃないかと思います(^_^;)
でも、全然不自然な感じでは無く、そういう装飾かな?って感じにしてくれていたので、はじめは全然気づきませんでした。
夜間だったのに、丁寧にアルバムの作成までしてもらえて、とっても嬉しかったです。
入院している間は、赤ちゃんといつでも一緒に過ごして良いとのことだったので、一緒に眠りました。
火葬してしまったら、もうお顔を見ることも、触ることも出来ないと思うと、眠ってしまうのが勿体なく、ずーっと起きて顔を見ていたいと思いました。
そしてずっと顔を眺めながら、赤ちゃんと一緒に過ごした時間を振り返っていました。
なんて優しい子なんだろう。
今回妊娠していなかったら、引越ししたばかりでも娘をすぐ保育園に預けて、慣れない土地でも、早くから仕事をしていただろう。
きっと方言の違いや、転園したことなど環境の変化で娘も不安定になっていただろうし、私自身も慣れない土地で新しい職場に慣れるのに必死で、ストレスを抱えていたに違いない。
妊娠が分かったことで、引越してからゆっくりと娘と過ごすことが出来たし、友達も作ることができた。
沢山奇形があったけれど、中絶が出来ない週数まで見つからないように隠して、私達が中絶するか悩まなくて良いようにしてくれた。
イグジット手術はしないという辛い選択を、医師に伝えなくても良いようにしてくれた。
帝王切開でお腹を切らなくても良いようにしてくれた。
2回目の肺の成熟のための筋肉注射をしなくても良いようにしてくれた。
2回目の羊水除去術をしなくても良いように、少量ずつ破水させてくれた。
陣痛促進剤を殆ど使わなくても良いようにしてくれた。
体が小さかったので、会陰切開などもせず、するんと出てきてくれた。
こんなに優しい赤ちゃん、きっと他にいない。
こんなに小さいのに、いったいどれだけの愛とパワーを、私達にくれたんだろう。
優って字を使いたいな・・・。
そう思いました。
そして、ずっとお腹にいた赤ちゃん。
産まれても、一生病院から出られないだろうと思っていたけど、亡くなった今なら、自由に空を翔けることができる。
優翔。
ふと、そんな名前が浮かびました。
字画などを考えて、一生懸命考えてくれていたパパには悪いけれど、この名前がぴったりのような気がしました。
主人に連絡して理由も説明すると、
「〇〇がそう思うのなら、それでいいよ。」
と言ってくれました。
パパが赤ちゃんに出来る、唯一の仕事だったのに、とってしまってごめんね・・・。
でも、この名前が本当にぴったりだと思ったんだ。
だから許してね。
娘と主人は、ずっと今までぽんちゃんと呼んでいたので急に変えられないようで、半分くらいの確率で今もぽんちゃんと呼んでいたりしますが、それはそれで良いかなと思っています(^^)