『家族3人でゆっくり過ごしたい』

と旦那の希望で転職した8月。

週3回の看護師バイト★

とてもいい人ばかりで楽しく仕事してました。

その同月、実の父が肺がんで亡くなりました。


そこから3か月後、

ようやくバイトにも慣れ、

父親のこともようやく落ち着き

のんびり生活していたところ

妊娠が発覚しました。


2人目は欲しかったけど

今のタイミングではなかったため

排卵日から5日ずらし、一度だけ仲良し。

その1回で来てくれたら奇跡の子です

(人生で一度もこんなに生理がズレたことはないです)


1人目よりつわりがひどく、

嘔吐、頭痛に加えてインフルエンザにもなり

安定期超えてもつわりは続きました。


そんな16週、胎盤が見え始めた頃

『胎盤下にあるな、前の帝王切開の傷のところに

かかってるからこれはやばいかもしれん』

と言われ、総合病院へ転院。


総合病院でも

『これは上がらなさそうな胎盤ですね』と

言われ妊娠5か月から絶望でした。

しかも

『30週から管理入院してもらい、34〜35週に

帝王切開します、うちはNICUがないので

産まれた後、場合によってはNICUがある

病院へ赤ちゃんだけ送ります。

もちろん入院したら退院まで家族と面会はできません』


と告げられました。


そこからはつわり+前置胎盤の悩みの日々


毎日検索しては落ち込み、怖くなり泣く。

夜も眠れず。

5歳の息子の寝顔を見ながら泣いてました。


『なんで私、2人目ほしかったんやろ

こんなことなると思わんかった。

家族3人で幸せやったのに。

今以上望んだ罰かな。


自分が死んでまで2人目ほしくない。

上の子に申し訳ない

お腹の赤ちゃんにも申し訳ない』

と正直お腹の子を憎く思う時もありました。



それほど絶望の毎日。


3人目は考えてなかったから

“人生最後のマタニティライフ楽しもう“

と思ってたのに

人生のどん底に突き落とされた気持ちでした。


ひとまず!NICUがあって、

面会できる病院はないか探しました。



それが今、管理入院している大学病院です。

『うちの病院は前置胎盤は日常茶飯事です。

子宮全摘なんてよっぽどじゃないとないですし

ベテランの先生しか手術しないし

慣れてるから大丈夫ですよ、いろんな方法を

使って子宮温存しますから!』と

言ってくださいました。

そして『子どもも旦那さんも面会できますよ!

管理入院も出血なかったらしなくていい場合もありますよ』


その言葉にずいぶん救われ、

1か月ほどは少し穏やかに過ごせました。


妊娠7か月からは後期つわりなのか

食べると吐きそうになり、

食事もおいしくなく、体重が増えません。

またしんどい毎日が再開。


そして胎盤が上がらないまま

32週で出血、管理入院。。(今に至る)


本当に辛いマタニティライフでした。

あと1か月。。


がんばろう。。


産まれたらきっと、

このために頑張ったんや!と思えるでしょう


赤ちゃんはとにかく可愛いから。

時々他人様の新生児を見て

にんまり。可愛いなぁ


元気な我が子に会える日を楽しみにがんばろう