普段、横断歩道を渡るということがほとんどない。
いつも車移動で、ドアから駐車場、駐車場からドアへ、の生活だから。

車移動ということは当然、横断歩道を渡る人を待つ、ということは日常的にある。信号で、信号のない横断歩道で、または横断歩道でないところで。
信号のない横断歩道を通りかかる場合、減速しなさいよ、と教習所で習ったような気がするけどどうだったか。人がいる場合は停まるようにしたいけど、通り過ぎてしまうことも多い。(ごめんなさい)滅多にない横断歩道を渡る機会になかなか渡れないと「なんで停まってくれないのか!」と思ってしまうのですが。
少し言い訳をしてしまうと、明らかに渡りたい風情のある人がいると停まりやすいけど、微妙な位置に立って、人を待っているのか、一休み中なのか、渡りたいけど渡れないでいるのか判断できず、微妙に減速したまま結局は通り過ぎるなんてことも多いのです。
まあ、人がいたら停まる、を心掛ければいいだけというのはその通りなんだけど。
普段目にする横断歩道付近に立っている人、はお年寄りであることが多い。道路を渡ることに遠慮しているのだろうか。そうだとしたらそんな遠慮は要らぬ、権利をバーンと主張して堂々と渡って頂きたい。

話はそれるけど、横断歩道や道を行く人を日々目にする訳だけど、その人たち一人ひとりに誕生日があり、子供時代があり、人生がそれぞれにあり、…と時々想像しては、その果てしなさというか途方もなさに気が遠くなる思いがする。一人ひとりにそれぞれの生活が人生がドラマがある、なんてあまりにも当たり前なんだけど、自分以外の人にもそのドラマがある、と「分かってきた」のはここ数年のような気がしている。そんな当たり前が分かっていなかったということは、自分以外の人を大切にしてこなかったことのような気がして落ち込んだりもするのだけど。

話を戻して。
一方、横断歩道でないところを堂々と渡る人も。車を全く確認せず歩く人もいたりして、危ないよ!と車の中で叫ぶ。
でも仕方ないよね、とも思う。横断歩道を渡るに越したことはないけれど、横断歩道と横断歩道の間が長い。横断歩道まで歩いたら日が暮れる。交通安全週間等に、パトカーが「横断歩道を渡りましょう」なんてアナウンスしながら通り過ぎるけど無理!無理無理無理。かといってやたらと横断歩道作る訳にもいかないのだろうけど。安全運転気をつけます。

横断歩道といえば、都会のスクランブル交差点をドギマギせずに渡れる日が来るんだろうか…無理!無理無理無理!!