はじめまして
ヴァイオリニストとして活動している
ぴよきちと申します。
もうアラフィフになってしまいました。
某市内で子供と二人で暮らしています。

私は業界切ってのレイトスターター
ヴァイオリン界ではあり得ない
中学3年生という遅さで
ヴァイオリンを習い始めました。

私なんて…という気持ちを抱きながらも、長い年月をかけ、
今、プロヴァイオリニストとして
活動している自分がいます。

しかし!
数年前にある事件が起きました。
そうです、コロナの流行です。

予定されていたコンサートは全て中止。
ひとり親で子供を抱え、
頼れる親族もいません。
音楽活動をやめて、
時給の高いバイトとか、
正社員雇用や時短社員として働ける所を探す?

私は今もヴァイオリニストとして
活動を続けていますし、
生活を維持できています。
なぜか?
それはヴァイオリン演奏ともう一つ、
並行して取り組んできた
“ブログ”という道
があったからです。


私の生活を経済的に支えてくれたブログ道、
あなたも知りたくありませんか?


まずは、私の幼少期からの
物語にお付き合いいただければ
嬉しく思います オーナメント


ヒヨコ 夢にみたヴァイオリン
……………………………………

幼い私はある日、
楽器屋さんのショーウィンドウに
飾られている、
美しい形の楽器に一目ぼれしました。

それはヴァイオリンという楽器でした。

「あれを手にしてみたい!」



 ・・・ ♢ ・・・

月日は流れ、中学生になった私は、
学校の部活体験でその楽器と再会し、
ついにヴァイオリンを弾く機会に恵まれました。

形だけでなく、
その美しい音色に心奪われた私は、
両親が根負けするまで

「習いたい!」

と懇願し続け、
ついに中学3年生で
ヴァイオリンを習い始めました。



極度の恥ずかしがり屋で、
店員さんに

「これください」

すら言えないのに、
ヴァイオリンを弾く時だけは
恥じらうことなく弾くことができたのです。

ヴァイオリンは、
不器用な私が手に入れた
唯一の“自分を表現する手段”でした。

ヴァイオリンの先生の目にはきっと
とても楽しそうに弾いている様に映ったのでしょう。

「あなたは音楽が好きそうだから」

と、音楽での進学を勧めてくれたのでした。



ヒヨコ 音楽という苦難の道へ
……………………………………

両親は音楽での進学に大反対。

世間体(せけんてい)命の母は

「浪人は絶対だめ!」

大企業勤めの父は

「そんな所に進学して何になる?」



音楽での進学に
価値を見いだせない両親から
ありとあらゆる事を言われました。


ヴァイオリンの先生も、
進学を勧めてはくれたものの、

「現役合格は難しい」

と言うのです。

なんせ音楽学部の受験には、
聞いたこともない名前の教科が
いくつもあり、それを
知識ゼロの所から、
高2で勉強をスタートしなければなりませんでした。

何より一番の問題は
ヴァイオリンの演奏自体でした。

ヴァイオリンの先生は、
私の演奏を

「恥ずかしくて大学の先生になんて
 聞かせられない」


と言うのです。

「何が恥ずかしいんだろう?」

と、その時の私は
受験生と自分の演奏レベルの違いを
全く理解できない、
恐ろしく無知な状態だったのです。


自分の中では
一生懸命練習して、
一生懸命勉強しているのに、
周りから浴びせられる否定的な態度や言葉。


私は激しいストレスから
過食を繰り返し、
(苦しいほど食べて
 自己嘔吐を繰り返す病気です)

カラダまでボロボロになっていきました。


それでも、

『ヴァイオリンを
 自由に弾けるようになりたい』

『朝から晩まで
 音楽漬けの生活を送ってみたい』


一度夢を灯した心の炎は消えませんでした。

苦しみながらも進学を諦めない私を見て、

「万が一受かるようなことがあったら、
 その時は進学させてやろう…」


ついに両親は反対するのをやめたのです。

 ・・・ ♢ ・・・

いよいよ受験です。

“ 一度受けて受からなかったら、
 才能ないってこと。
 恐らく何度受け直しても同じ。”


そう思っていたし、
両親が希望する
国立四年制大学の受験勉強をした方が
よっぽど楽だと感じていた私は、

「音楽で受験するのは一度だけ。
 受からなかったらもうやめる。」


そう両親に宣言して受験に挑みました。


自分を含め、
誰もが無理だと思っていました。

しかし、
誰にも期待されない中、なんと私は
先生の母校に合格し、進学を果たしたのです!



…そして
希望に胸を膨らませ入学した直後、
私は思い知るのです。

大学に入学した同期たちは、皆、
高校から既に“専門”で
音楽の勉強をしてきた精鋭たちでした。

彼らは自分たちのことを精鋭などとは
これっぽっちも思っておらず、
私の知らない音楽知識も、実技も、
知ってて、できて、当たり前。

「なんて恐ろしい場所に迷い込んでしまったんだ…」

私は、音楽での進学を後悔しました。

そして、3~4歳から
ヴァイオリンを弾いてきた同期との
あまりの演奏レベルの違いに愕然とし、
入学後1ヶ月と経たず、辞めたいと泣きました。


ヒヨコ 恩師と呼べる先生との出会い
………………………………………………

大学で私を受け持った先生は、
その大学で長く教鞭を取り、
たくさんの演奏家を育ててきた教授でした。

「音は綺麗だよ。
 耳がいいから、頑張ったら、
 “ もしかしたら ”
 上手になるかもしれない。」


そう言って、楽譜すら読めない私を
静かに温かく見守ってくれました。

私みたいな落ちこぼれが
先生の生徒だと思われるのはイヤ!!

先生の名を汚したくない上手になりたい!!!!


私はひたすら練習しました。

 ・・・ ♢ ・・・



敬愛する大学教授のもと
練習に明け暮れ、
いつしかヴァイオリンの演奏技術は
同期と引けを取らない物になっていました。

大学生活も終盤に差し掛かかり、
圧倒的に音楽歴の浅かった私は

“ 大学を卒業しても、もう少しの間、
 音楽の勉強だけに集中できる
 時間と環境が欲しいな ”


と感じていました。

そんな時、
ウィーン国立音大に留学中の友人から

「遊びにおいでよ」

と連絡がありました。

    
大学4年の冬休みを利用し、
初めて訪れたウィーン。

そこには
見たこともない景色が広がっていました。


垂れ込めた分厚い雲で覆われた
灰色の空。

そびえたつような石の建造物の街並み。

街の中心に立つ、息を飲むほど
荘厳(そうごん)で大きな教会。

石畳の上を馬車が通り、
街に点在する
手入れの行き届いた公園では、
霜で凍り、白くなった花たちが
首(こうべ)を垂れていました。



耳に入ってくる音は、
平坦な日本語とは全く異なる
抑揚とリズムを持った言葉たち。
※ウィーンでは訛りの入ったドイツ語を話します。


300円出せば立ち見で楽しめる
ウィーン国立歌劇場の公演に、
1000円程度で立ち見で聴ける
ウィーン学友教会ホールの演奏会。
※当時の通貨はオーストリアシリングで、
 円が強く、物価も安かったのです。


街の中心地にある楽譜屋さん
“ ドブリンガー” は、
私が日本で見たことのなかった
楽譜がズラリ並んでおり、
毎日通いたくなってしまいそう!
※1876年創業の音楽出版の老舗。
 200年以上に渡りウィーンの音楽界で重要な
 役割を担い続けてきた世界的にも有名な
 ミュージックショップ。

ドブリンガーを案内してくれた後、
友人が連れて行きたい所があると
言い出しました。

「伝説のカフェって言われてる
 カフェがあるんだけど!
 ちょっとついて来て!」


ドブリンガーから1分ほど歩いて、
友人が立ち止まりました。

目の前の
扉の上には“CAFE”の文字。

内側にカーテンがかかり
ドアからも窓からも
中を覗き見ることができず

ドキドキしながら
カーテンのかかったドアを
そっと開けると…


……!!!


そこには、
私の知らない世界が広がっていました。


「ここ、世紀末の
 芸術家たちが集まったって言われる
 伝説のカフェなんだよ!」


昼間なのに店内は薄暗く、
歴史を感じさせる古い店内。
パイプをくゆらせている男性や
新聞を読んでいる紳士、
そして若い男女…
メニュー表はなく
ウェイターと話して注文する。

私はその雰囲気に
一気に魅了されてしまいました。

※カフェ ハヴェルカ 
 戦後の1945年から今の場所で3代に渡り
 家族経営が続いている。当時より内装も
 ほとんど変わっていない。ウィーンの
 伝統的カフェの1つ。


日本にない
この空気感、雰囲気…


住みたいとは思わなかったけど…
でも、ここに住んだら、
絶対に何か得るものがある!


私はなんと、
その旅行中にアパートを契約し、
一旦帰国して卒業試験だけ受けると、
合否も見ぬまま、
再度ウィーンへ渡りました。

そこから数年に渡り、
毎日が新しい物に触れる
学びの日々を送りました。


ヒヨコ 恋?それとも…
……………………………

数年の時を経て
私は日本に帰国し、
一旦、実家に戻りました。

働き始めて
収入を得られるようになると、
私は実家を出て、
一人暮らしを始めました。

本業のヴァイオリンの仕事とは別に、
アルバイトもしていました。
時給のよさと家から近い
という理由だけで選んだ
倉庫作業のアルバイト。

そこで、
一人の男性と知り合います。

アルバイト作業の
チームリーダーの男性。

その男性が、

すっごい無愛想で感じ悪い!



威張ってるわりには
説明も言葉足らずで、
リーダーなのに
しょっちゅう遅刻してくるし、
私の中で完全に

“ なんだこいつ ”

認定!!

アルバイト自体は、
作業は楽だし、
サークル活動と錯覚しそうな楽しい物で、
連日シフトに入るようになりました。

… ♢ …

ある日、
同じチームのメンバーで
飲み会をすることになりました。

やっぱり遅刻してきた
チームリーダーのその男性。
私の隣に座っていた同僚が

「こっち座る~?」

とその男性に席を譲ったのです。

「げっ、
 なんでこの人が隣に!」


人ってギャップに弱い
と言われていますが、
例にもれず、やられました…

飲み会で見たその男性の姿は
いつもの威張った感じとは真逆で、
他のメンバーにいじり倒され、
マスコットと化していたのです。

「え…
 なにこの人?
 本当はこんななの?
 
 …かわ…い…い?」


その後も
毎日のようにバイトで顔を合わせ、
なんとな~くお互い
気になる存在になり…

そのうちこの男性は、
バイト先に近いという理由で
私の一人暮らしの部屋に
転がり込んできたのです。
※遅刻対策で。遅刻なくなりました。

マスコットなので本当に人畜無害!
仲の良い女の子と
シェアハウスしてるような感覚で、
読んでくださってる皆様が
期待する様なロマンス的なものもなく!
ただ楽しく
アルバイト生活を送っていました。

そんなある日、
私の部屋に転がり込んでいることが
男性の両親にバレ、
(隠してたんかーい!)

「普通は男が家を借りて
 女性を住まわせるんじゃないのか!?
 お前逆じゃなか!
 とにかくその女性を
 一度連れて来なさい!」


こうして私は
男性の実家に連れて行かれたのでした。

行ってみれば、
ご家族総出で出迎えられ、
帰る頃には、

「ファンになりました!」

とご家族皆様に言っていただき
大歓迎されたのですが…

そのおかげで
外堀だけが完全に埋まってしまい、
まだ20代だった私は
流れに逆らうこともできず、
私はこの女の子のような男性と
結婚したのでした。



ヒヨコ 絶望の中で見た光
…………………………………

その頃、私の母親は
指定難病を患い、
身体障害2級から1級へと
体の不自由さが進んでいました。

そんな中、私の両親が

“ 二世帯で住まないか ”

という提案をしてきたのです。

実家はかなり老朽化しており
二世帯仕様の家を
一緒に購入しようというのです。

幼い時から
母親とうまくいっていない私は
この時ばかりは

「絶対にいや!」

と何度も反対したのですが、

父は、私がいれば母を見てもらえる
母は、他人に介護されたくない
夫は、戸建てに住める

私以外はメリットしか
感じていなかったのでしょう。

誰も聞く耳を持ってくれず、
そのまま計画は進んでいきました。

結局、夫と自分の両親の
二世帯での生活を送ることになり、
夫と父は仕事だからと家を空け、
私が身体障害1級の母の介護を
一手に引き受けなければならない
過酷な生活が始まりました。



介護で外に出られないため、
自宅で生徒を取り、
ヴァイオリンのレッスンをするも、
そんな生活に、
夢とか希望とかそんなものは、
もう、どこにもありませんでした。

「私の人生って何なんだろう。」

家から出ることも許されず、
母のお世話をするだけの毎日。

あんなに真剣に、懸命に勉強したのに、
初心者の生徒たちにヴァイオリンを教えるだけの日々。

「ただ死ぬまでを、
 生存という意味で生きてるだけの
 人生だな。」


そんなことをぼんやり思っていました。

 … ♢ …

夫との間に
長い間、
子供はいませんでした。

夫とは、
仲は良かったです。
仲の良いお友達のような感じでした。

おしゃれなカフェへ行ったり、
一緒に買い物へ行って
洋服を見たり、
男性が苦手そうなことを
一緒に楽しんでくれるのです。

しかし、
自分の“ 夫 ”と紹介するには忍びなく、
頼りがいは一切ない、
「分からない」「出来ない」だらけの
年下の女の子のようでした。

“ 女の子のよう” というのは、
趣味や性格だけの話ではなく
男女間にある行為も
一切なかったのです。

結婚する前からもずっと同じで
なぜないのか疑問で、
私に魅力がないからなのかとか
色々考えましたが、
結局は、元々本人に
そういう欲がないことが原因でした。



せっかく女性として生まれて、
一度は出産を経験をして、
自分の子供を持ちたいという
気持ちはずっとありました。

30代になると、
1年、また1年と、出産リミットの
カウントダウンのようで、
焦りと、諦めの悲しみとで、
言いようのない
焦燥感(しょうそうかん)に
駆られていました。

「自然にできないなら、病院へ行こう」

私は夫に
女性にはリミットがあること、
子供が欲しいことを訴え続けました。

そしてついに
結婚生活9年目にして
待望の第一子を授かり、
夢も希望もなかった生活の中に
小さな希望の光が生まれたのでした。



ヒヨコ 環境の変化と決意
…………………………………

母は身体障害1級でしたが、
家族以外に触られることを極端に
嫌がり、介護保険の申請を
拒み続けました。

「これ以上ひとりで母をみるのは無理。
 介護保険を申請して、他の人の手を
 借りないと私が本当に無理!」


私は何度も訴えました。

しかし、
どうしても聞いてもらえず、
強硬手段として、
私は家を出ることにしました。

夫が転職するタイミングで
私たちは二世帯で住んでいた家を出て、
遠方の見ず知らずの土地で
新しい生活を始めました。

私たちが出て行き、
間もなく、母は亡くなりました。

母から完全に解放された時、
私の年齢は40目前になっていました。

生活の中心は子育てに変わり、
かわいい我が子の成長を喜びに
平穏な生活を幸せだと感じていたはずでした。

しかし、
何かが引っ掛かっているような…
自分でも何か分からない、
でも晴れやかではない、
すっきりしない感じ…

「子供が成人したら、
 私に何が残るだろう?
 依存し過ぎて子離れ
 できなかったらどうしよう。」

「この先私は、自分のやりたいことが
 できなかったって、
 子供のせいにすることなく
 生きていけるのかな。」


そんな思いが浮かんでは消えていくのです。


…?
…何か違う。
私の人生って、このまま終わるの?
もっと違う何かがあったはずだよね?



子供が大きくなったとき、

「私には私の道があるから大丈夫!」

と言える女性でありたい。

「人生って楽しいものだよ!」

って背中で見せたい。

私はやっと、やっと、
自分自身と向き合いました。
自分の本当にやりたいこと

“ ヴァイオリニストになる!”

と決意したのです。

 ・・・ ♢ ・・・

それがですね…
決意って言ったって、
普通に主婦生活してたおばちゃんです。

決意と同時に、
泉のごとく湧き上がる
不安、不安、不安!

「自分のやりたいことを優先して、
 子供に淋しい思いをさせたら
 どうしよう。」


いやいや!ともう一人の自分の声。

「本当にやりたいことをやって
 輝いていれば、
 将来必ず分かってくれる日が来るよ!」


“ ヴァイオリニストになる ”
と決意はしたものの、
私の心はグラグラ揺れていました。


子供は一番大切、
でも自分の気持ちも大切にしたい…


なぜ思い切れないの…


自分で自分を縛ってきた鎖を断ち切りたい…



何も動けず、ただ不安で
頭の中で堂々巡りを繰り返す毎日。

そんな自分へのイライラが
最高潮を迎えたある日、

「ええぇぇぇぇぇいっ!!!
 子供がいたって、
 いくつになったって、
 夢を追いかけられる!
 私にならできる!」




ついに私の心に火がつきました。


再び恩師の門を叩き、
学生に混じりレッスンに通いました。

外出時にはいつも
ヴァイオリンをたずさえ、
初めてお会いする方には、
名刺代わりにと目の前で演奏し、
たくさんの方に、
顔と名前を覚えてもらいました。


ヒヨコ デビューと自覚
…………………………………

少しずつ演奏の機会を
持てるようになったある日、
コンサートでの
演奏写真をいただきました。

そこに写っていたのは
ドレスを着たずんぐり体型の
ダッサいおばちゃん!
(もちろん私の写真です…)



“ 女流ヴァイオリニスト” のイメージとは
あまりにかけ離れたおばちゃん具合に
自分で大ショックを受けました。

“ 見た目の美しさも極めて重要!”
とようやく気づき、
40代になって初めて
髪を巻く練習をして、
ダイエットをして、
メイクの練習をしました。


このことがきっかけで、
自分には
プロ意識が欠如していたと気づき、
“ プロならこうするよね ”と逆算して
考えるくせをつけるようになりました。

プロ意識を持つと、以前より遥かに強く
“ カラダが資本である ”
と考えるようになりました。
食や運動など、生活を見直して、
常に健康を意識し、
大切にするようになりました。

「ヴァイオリニストです」
と自信を持って言えるように、
演奏の機会をいただけるように、
できることはなんでもする!
という意気込みで、
とにかく走り続けました。


ヒヨコ 運命の出会い
…………………………………
走り続ける中で、
私は直面します。

時間が足りない!

夫は家賃と公共光熱費は
支払ってくれていましたが、
生活費は入れてくれませんでした。

生活費を稼ぐために、
私は依頼演奏や
自主企画コンサートをこなしながら、
毎日アルバイトをしていました。



子供のお世話をして、
家事をこなして、
アルバイトして、
練習時間もろくに取れない…

納得いく練習ができずに
納得いく演奏ができるわけがなく、
どうしたらいいのかと
頭を悩ませていました。

 … ♢ …

そんなある日、
私は運命の出会いを果たします。

とあるIT企業の
社長さんをしている男性です。

その社長さん、
私がブログを書いていたことを知ると、
ただ日記代わりに書いていたブログを

「収益化できるよ」

と言うのです。


私はびっくりして、
詳しく話を聞きました。

実はその社長さんは
著名ブロガーでもあり、
ブログの書き方や収益へのつなげ方を
長年に渡り研究してきた方だったのです。

私は社長さんから
ブログを収益につなげる方法
を教えてもらい、
実践していきました。

そうして
書いたブログから少しずつ
収入を得られるようになりました。

私はアルバイトをやめ、
その時間を
ヴァイオリンの練習時間に
充てることができるようになりました。

収入を得ながらも、家にいて、
家事育児に楽器の練習と
自分の求めていた暮らしを
できるようになったのです。


 … ♢ …

この頃、
夫は転職した会社をやめて
アルバイト生活を
送っていました。

私はいい歳をした自分の夫が
特に夢も希望もなく会社をやめた後
アルバイト生活をしているのを
情けなく思い、
この人が自分の夫だと思うことが
つらくなっていました。

私がアルバイトをやめ、
家にいる時間が長くなると、
私と顔を合わせたくないのか、
夫は家に帰ってこなくなりました。

様々な要因はありましたが、
最後は
借金などの金銭的な問題が引き金となり
夫と離婚しました。

その後も私は
子供を自分の手で育てながら、
ヴァイオリニストとして活躍する、
という夢を追いかけ続けました。

時間と場所に縛られず、
“ブログを書くことで収入を得られる”
という術を身に付けていたからこそ、
ひとり親になっても
子供との時間、
ヴァイオリンの練習時間、
家事をする時間、
全てを手に入れられたのです。

教えてくださった社長さんに
心から感謝です。

そして、このブログ道を
必要な方にお伝えできるよう、
このブログを書いています。



ヒヨコ そして今…
…………………………………

今の私は、著名な方々をバックに
ソリストとして演奏させていただくまでになりました。

もう40になるという年齢のあの時、
決断できたこと。
なりふり構わず行動し続けたこと。
自分の気持ちに素直に生きていること。

今はじめて、
自分を誇りに思えています。


子供は
私の出演するコンサートがあると必ず

「聴きに行きたい!」

と言ってくれ、
都合が合えば会場に来てくれますし、
応援してくれています。



とっても幸せです。



ヒヨコ おわりに
…………………………………

芸術、スポーツ、様々な分野で
その道を究めようと、
まっすぐ真剣に、
取り組めば取り組むほど、
時間もない、お金もない…
私がそうでした。

どうか、真剣に
その道を目指して頑張っている人が
経済的基盤を持って、
笑顔で活躍できますように。
一人でも多くの方の成功を
お手伝いできますよう!

ブログ道へようこそ。




あなたに愛を込めて
ぴよきち



…………………………………
ヒヨコ LINEを開設しました!
…………………………………
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