いままさにリアルタイムで新しい世界に来始めているので、その辺りのことを書きます。
Torontoで夏に出会った若者と、一瞬で恋におちて、紆余曲折ありながらもなんとか関係性を保つことができていたけど、冬が来て、あえなくすれ違って終わりました。
渦中にいる時はいつも希望だけがあり、今が人生最高だと思う。
私にとって恋愛は、世界を輝かせてみせる麻薬みたいなもの。
一喜一憂も、自分の中の執着心や嫉妬心との葛藤も、全てがエネルギーに満ちていて、それが生きがいみたいに思える。
だけどそのうち執着は薄れていく。
相手が私に執着していれば、それなりに関係性は続くけど、相手が私への執着を失いつつある、と感じた途端、もう私は次の世界を見始めてしまう。
私は宇野千代さんを敬愛している。
彼女の生き方は、自分と重なるところが大いにあって、私は10代の頃からずっとロールモデルにしてきた。
彼女は言う。
「私は生涯の間、これは参った、と思うほどの失恋を繰り返した。そのたびに、身をひるがえして、その失恋のどん底から起き上がった。その変わり身の素早さは、人の眼にとまらぬほどであった」『生きていく私』より
前記事で書いたように、別に私は相手のことを嫌いになるわけじゃない。
むしろ感情としては深まっている感がある。
だから毎回、相手が私への関心を失いつつある、と感じるのは悲しい。
(でも相手からしたら私の方から遠ざかっているように思えるのかもしれない。)
とにかく失恋はそれなりに痛手だ。
でも、終わりがあるから始まりがある、と思えるのが私の性質で、さらに宇野千代の「眼にも止まらぬ変わり身の素早さ」に憧れて10数年。
新しい世界を見始めてから、実際にそこに足を踏み入れるまでの葛藤は、次第に少なくなってきているように思う。
だから今はじたばたしない。
未来のいつか、今現在のこの出来事がどんなターニングポイントだったのか、きっとわかる日が来ると思うので。
そんな感じで、新しい世界から、今までいたところを見るのが好き。
それがブログのタイトルにある、常に新しい世界をまなざす、の意味するところです。
(ちなみに「まなざす」「まなざし」という言葉についても色々書きたいことはあるのですが、主題が散漫になるのでそれはまたの機会に…
興味ある方はハナムラチカヒロさんの著書『まなざしのデザイン』をどうぞ。
私が20歳前後にかなり影響を受けた人です。)