ご縁があり、

上林望先生のガイドロプト講座という

説明しがたい講座で学んでいます。(場所は東京です)

 

 

先日の講座で、

時間も空間も飛び越えるなんていうと

SFのようですが、

 

瞑想状態の中で過去や未来を

感じること方法を学び、

ただいま練習中。

 

自分を中心にいろいろと感じていくのですが、

今日の仕事で、

いつになったら手放せるのだろうという

落ち込む繰り返し事項があったの。

 

そのことを考えていたこともあったのですが、

子供の頃の自分の感情が出てきました。

 

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ちょうど、弟が生まれた頃の私

姫路に住んでいました。

 

自宅の周囲は田んぼが多く、

数件並んでいるお隣さん以外は、

遠く離れていたと思っていました。

 

幼稚園は自宅から車で行く距離、

帰りは路線バスで帰ってましたね。

(4、5歳児でしたけど・・)

 

そんなことで、幼稚園の友人はおらず、

近所の友達はお隣のまゆこちゃんだけ。

 

弟が生まれた時、

母の体調も良くなく(高齢出産だったしね)

妊娠後期寝ていることが多かった。

 

お手伝いさんに来ていただいていたけれど、

出産が終わり、数ヶ月後にはお別れ。

 

とても大切にしていただいて、

声帯を切除されていらした方でしたが、

良く話しをして、聞いて構っていただいていました。

 

お名前はなんだったかな。

 

弟とは6年ほど離れているので、

私は6歳

一通りのことは自分で出来る年齢。

そういうこともあったのでしょう。

 

やって欲しいこと、

聞いて欲しいこと、

話して欲しいこと、

 

私は黙っていたらしい。

誰から言われたのかはわからない、

けれど、

 

「お母さんは具合が悪いから、静かにしてようね」

その一言が

「お母さんにお願いすると迷惑がかかる」

と変換してしまっていたみたい。

 

それからというものの、

夏休みの宿題すら、自由研究の作り物以外、

わからなくても、聞きに行った記憶はない。

 

その自分が思っていたこと。

「いつになったら振り向いてくれるのだろう」

 

赤ちゃんが居て、体調も今ひとつ。

声を掛けても、私のことは後回し。

 

当たり前っちゃ、当たり前なんだけれど、

とても悲しかったんだ。

 

いつになったら、遊んでくれるんだろう。

話しを聞いてくれるんだろうって。

 

「迷惑をかけなければ、話しを聞いてくれるの?」

「いい子にしていれば、遊んでくれるの?」

そうすれば、

楽しいことがある。

お母さんが見てくれる。

 

そのことが、

根っこにあるみたい。

 

おそらく、

ヤキモチもあるんだろうね。

でも、寂しかったんだ。

 

お母さんは

いつになったら振り向いてくれるのだろう。

 

そう思いながら、

泣いていた。

 

そんな私の今晩。