フットケアスペシャリスト 石井園子です。

今朝ふと思って、Facebookにアップしたのだけれど、

アップの内容はね。

「やってもらって嬉しかった、
助かったことは他の人にもしてあげなさい」
とは、母の言葉。
ところが、年月が経つと私の中で、
「してあげなさい」が、
「してあげなければならない」にいつの間にか変わっていた。
どんなに嬉しくても、お返しをする事は必須では無いんだよね。

今更気がついた。バカみたい。

ってね。
あなたは、親からだけでなく、
子供の頃大人から言われていませんでしたか?

例えば、
疲れている時に、彼がジュースを買ってきてくれた。
そのことがとても嬉しくて、
彼が疲れていそうな時に好きそうなジュースを買っていく。

「ありがとう」
なんて喜んでくれたら、自分が嬉しくなっちゃって、
またジュースを買っていく。

そのうち、
彼が疲れている=ジュースを買っていく

この図式が出来上がってしまって、
「ジュースを買っていかなければならない」に成っていませんか?
と云う事。

「〜ねばならない」になると、
思いも何もなくて、

義務!

それでしかない。
その上、もっとややこしいのが、

「やってあげたのに、何でやってくれないの?」
と云う期待を持ってしまう事。

いいですか?

ジュースを買い始めたのは、
「自分」なんですよ。

自分が買ってあげたいから、
彼が喜んでくれるかなぁ〜と云う期待を持って。
自分が楽しいから買ったはずなんです。
彼がどうこうと指示が出ていたわけではないんです。

それが、いつの間にか変わっている。
そこにエゴが発生しているわけなんですけれど。

これが、とっても自分を縛っていたんです。

私は特に家族に対して、
私は風邪をひいていた時に、
寝込んでいたい時にでも、
ベル様の散歩に行ったのに、


なんで、
体調が悪いだけで、
散歩に行けないって動かないの?
私はこれから仕事があるのに
なんで変わってくれないの?

ってな感じで、
いろいろなことに、
腹が立って仕方なかったの。
そして、それを口に出せない。。。
(最悪でしょww)

結局、全然楽しくない。
そして、そんなことを期待している
自分に腹が立ってベソをかく。。

「やってもらって嬉しかった、
助かったことは他の人にもしてあげなさい」

この呪文は素敵な言葉ですよ。
でも、義務じゃない。
忘れないでね。

それからね。
疲れるとジュースを買って来てくれる。
それが当たり前だと勘違いしないでよね!

嬉しかったら、
同じことを相手にしてあげてください。

義務ではないけれど、
ありがとうを態度で示すことも大切ですからね。