今回の指令はコレ
「謎のお菓子街道を探れ」
伊賀といえば・・・「忍者の街」ぉ敬の故郷
そして、松雄芭蕉さんの生誕地
芭蕉さんは、実は忍者()だったという説もあるんだけど・・・
ぉ敬も師匠さんも、はっきりはわからない・・・
俳諧師は、旅をして暮らしていた事から、
情報収集を伴ったって言われているんだぁ~
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伊賀に来て、まず立ち寄りたいところはココ
伊賀上野城~
現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残っているんです
伊賀上野城についてちょっとぉ勉強
天正13年(1585)に大和郡山から移封され、伊賀の国主となった
筒井定次氏が、天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺の跡に
三層の天守を持つ平山城(上野城)を築きました
関ヶ原の合戦の後・・・
筒井氏は兼ねてから不行状で重臣から出奔されており・・・
1608年、ついに徳川家康の命で筒井氏は改易され
その後には、信任が厚かった「藤堂高虎公」が伊賀、伊勢に移封
そして慶長16年(1611)正月に 築城の名手の高虎公が
上野城を有事の根城として、
本丸を西に拡張高さ約30メートルという高石垣をめぐらすなど
大改修を試みました トントン
しか~し建設中だった五層の天守閣は、慶長17年(1612)9月2日、
当地を襲った大暴風で倒壊してしまいます((((((ノ゚⊿゚)ノあぁ・・・
豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなったのに加えて
武家諸法度による築城禁止の命により再建工事は断念・・・
現在ある三層の天守は、昭和10年に川崎克氏により建てられたものなんです
ちょっとぉ勉強でした
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お菓子街道に行く前に、ちょっと忍者について知りたくない
忍者の事を知りたいなら・・・
ココへ行こう~(^O^)/ 「伊賀流忍者博物館」
ここは伊賀上野城のすぐ近く('-^*)/
一見普通の家に見えるが・・・ここは忍者屋敷
いろんなカラクリがあるでござる
が観れなかったて人は・・行ってのぉ楽しみぃ~
ぉ敬のかわいい後輩クノイチたちがいるから会いに行ってねぇ~('-^*)/
地下は忍者体験館になっていて、400点以上の忍具があるでござるよ~
この衣装はなぁ~んだっ
実は、普段から忍者衣装を着ているわけではないのです
農作業をしながら、武器や火薬を作ったり・・・
雨売りや曲芸師になって諸国を回ったり・・・
ラジバンダリー・・・・(笑) あっいやいや・・・言ってみたかったのぉ
秘密書類を届けたり・・・
いろんな姿で役目を果たしていたの(o^-')b
ぢゃあ、ちょっとした忍者体験してみよぉ~
これなぁ~んだっ
これをはいて水の上をスイスイ歩いていた・・・そぅ「水蜘蛛」
ここで弥次さんが体験
実際に水の上だと、バランスがとりずらく難しいのだけれど・・・
なんとなく出来た弥次さんは・・・楽勝顔 ニントモ♪カントモ♪
続いては・・・「縄梯子」
これも簡単に見えて以外に難しい・・・
これは喜多さんが挑戦(*^ー^)ノ
登れず・・・ぐるんぐるん回る喜多さん
ぅわわわ~なんやこれ~
ちなみにぉ敬は登れますよぉ~
いろんな体験があるけれどぉ・・・
やっぱりみんなが一番体験したいのはコレかな・・・
手裏剣打ち~体験 5枚で200円
ぉ敬:「2人にぉ敬が見本をみせるねっ」って言ったら・・・
2人:「えっ?ぉ敬投げれんの~?!」って
この弥次さんの顔見てよぉ~ できないでしょっみたいなプンプン
ぉ敬だってクノイチだいっっ 手裏剣投げくらい・・・
手裏剣はこんな感じで・・・
親指と人指し指で刃をしっかり持ちますょ
それではまずは喜多さんから・・・
ちょっぴりフォームが野球のピッチャーっぽいなぁ~
肘を軸に上から降り下ろすんだよぉ~
そして続いて弥次さん・・・
調子に乗っておチャラけて投げる弥次さんの手裏剣は
地面に ププッ( ´艸`)
最後は、ぉ敬の手裏剣2枚投げ~
これはかなり高度なテクニックが必要でござるっ
見よっクノイチの技を( ・д・)/--=≡(((卍
手裏剣投げ楽しかったぁ~
ぉ敬のみごとな手裏剣投げを見たら・・・
いよいよ街に繰り出しますよ~