今日は、朝から行ってきた産婦人科で約20日間お腹の中にいた赤ちゃんとお別れしてきました。
悲しかったなあ。ツラかったなあ。
今日のことは二度と忘れない。忘れたくない。
先月1月17日に使って陽性反応が出た妊娠検査薬と産婦人科の内診で撮ったエコー写真を見る度に、私はきっと今日のことを思い出す。
朝早くに病院に行って診察を受けると、2剤目の経口中絶薬を口に入れて30分間舐め溶かした後、溶けきれず残った錠剤は水で流し込んだ。
その後はもう嵐のような勢いで腹痛が襲った。
生理痛のような子宮の痛みに加え、お腹を下したようなゴロゴロとした腹痛で実際本当にお腹は下した。
病室のベッドで横になってスマホを見ていたが、痛みが酷くなってくるとスマホどころではなく、ひたすらベッドの上で悶え苦しんでいた。
お腹を下しそうだったので病室に備え付けのトイレに行ったら、便と一緒に膣から何かニュルっと出たような感覚があった。もう胎嚢が出たのかと思ったけど、確認しようにもトイレの中に混じって分からないし、血まみれだから余計分からない。仕方ないのでナースコールで看護師を呼び出した。トイレの水は流さずに待っていたけど、袋とか持ってきた様子も無かったからきっと看護師が赤ちゃんをそのままトイレに流してしまった。
でもそれが赤ちゃんだったのかは分からない。
だって、その後もまたトイレに行ったら得体の知れない塊…というか、膜のような物体が出てきた。今度は便器の中ではなくナプキンの上で。確認したけどただひたすら血で赤黒く染まっていて胎嚢なのかそうでないのか、分からない。
病院食は一応出されたけど吐き気と腹痛が酷くて全然食べられなかった。デザートとして備え付けてあったパイナップルしか食べれなかった。肉体的な痛みと精神的な痛みで食事を「美味しそう」と思えなかった。
そりゃあそうだ。子供を堕ろした直後でマトモに食事なんか摂れる神経は持ち合わせちゃいない。
食事はほぼ手を付けず横になっていたら、看護師が来て「胎嚢が出てるかの確認でエコー見るので1階へどうぞ」と言われた。痛みで歩けなかったから車椅子で移動しました。
内診でエコーを見たけど、その瞬間涙が出てきた。
エコーには、もう赤ちゃんの姿は無かったから。
ただでさえお腹も痛いのに内診でグリグリ掻き回されたからその苦痛も相まって余計悲しかった。
赤ちゃんは無事に排出されたので今日はこのまま退院ですって言われて、今日は昼過ぎに退院出来た。
今日の17時までに胎嚢排出されなかったら今日は1泊入院になるところだった。
夜になった今、あんなに毎日毎日苦しんでたつわりや薬の副作用の吐き気が嘘のように無くなった。
生理痛のような下腹部痛と腰の鈍痛、出血はまだあるけれど、妊娠が分かってから今日までの20日間、当たり前になっていたあの気持ち悪さが無いとなると、とても空虚だった。母乳をつくる準備のために張っていた胸もいつの間にか、痛みは少なくなっていた。
あんなに毎日つらくて解放されたかったはずのつわりや、経口中絶薬の副作用は全て無くなったのに、たった一つだけ残ったのは、“罪悪感“だった。
今日のことを忘れないために、消えない記憶として残るように、ここにお別れした赤ちゃんにメッセージを残したいと思います。
天国へ行った赤ちゃんへ
産んであげられなくて、ごめんなさい。
本当はね、この世に産んであげて、たくさんのことを知って欲しかった。
夏の暑さや冬の寒さ、お絵描きやおもちゃで遊ぶ楽しさ、ご飯やおやつの美味しさ、学ぶこと、時に悲しくて泣いてしまうこと、何もかも嫌になって投げ出したくなること、でもそれ以上に生きる楽しさや嬉しさ。
色んなことを、知って欲しかった。
もし産んであげられたら、どんな子に育っていたか、何が好きで何が嫌いか。どんな人と出会ってどんな幸せな人生を歩むのか。
考え出したらキリがないくらい、ママはあなたを「もし産んでいたら」という風に考えます。
でもそれが叶わなかったのは、ママとパパの親としての力不足です。あなたを産んであげることはできても、ちゃんと育てていけるかが不安でした。
もしかしたら不幸で可哀想な思いをさせてしまうのではないか、親として失格だと思わせるようなことをしてしまうのではないか。
お姉ちゃんにも、いつも可哀想なことをしてしまいます。ママは、そんな自分が許せないからこそ、これ以上子供を産む資格は無いと思っています。
あなたを幸せにする自信が無くて、不幸な目に遭わせてまで産むのが正しいと思えなかった。
それでも、あなたがお腹にいると知った時の嬉しさは確かに本物でした。
本当に、かけがえのない時間でした。
20日間という短い時間だったけど、あなたが私のお腹の中で過ごした日々は絶対に忘れません。
最後に、
ママのお腹の中に来てくれて
本当にありがとう。
ママとパパとお姉ちゃんを見守っていてね。
ママより
