2年程前に卒業した事業所で毎年恒例のフェス(ゲームしたり食べ物販売したり)があったので、そこで1番仲が良かった友達を思い切って誘って一緒に行ってみた。
久しぶりに会ったけど「やっぱり変わってないな」と思った。見た目はボーイッシュでピアスとかジャラジャラ付けてる子なんだけど、性格は天然というかとても面白い子。旦那が運転する車で友達を迎えに行って、私と旦那と1歳4ヶ月の娘と、友達とその子の彼氏さんも途中から合流してフェスを楽しんだ。
そのフェス自体を楽しんだというより、個人的には友達とバカ笑いしながら喋ったのが楽しかった。なんというか、その子と話してると自然と素の自分が出せるから一緒にいて窮屈じゃない![]()
私は授かり婚して旦那の実家に嫁いできたのだけど、ここ最近の性格は本当に息苦しかった。住んでいる人数も多ければ出入りする親族も多い。その中で生活していくというのは我慢や辛抱、忍耐という苦難の連続で、精神を病んだり体調を崩すことも増えた。
まだ22歳という年齢なのに、同世代の子たちとは比べ物にならないぐらいに頬は痩けているし、自由に使えるお金もなければ行きたい所にも行けない。
そんな日常の中で、今日一日という限られた時間の中でまるで童心にかえったかの様に子供を産む前のバカやってた自分に還ることができて、本当に心の底から「今が楽しい」って思えた。帰る時間が来て欲しくないとさえ思えてしまって、家に帰ってからもずっと今日のことを振り返っては名残惜しかった。自分にとってそれ程今日が恋しい日になったんだな。
自分にはあまり友達と呼べる人がほとんどいない。
仲の良い子はできても一時的な交友関係で、これから先もずっと長く友達として付き合っていくのだろうと確信した人はいなかった。高校生の頃、同じ寮に入っていた同級生の子たちともたま〜にLINEのやり取りするぐらいで会って遊ぶとかは全く無い。
それでも、今は過ぎ去った10代の眩しい記憶が今でも鮮明に残っている。あの時は本当に楽しかった。でもその時間にまた巡り会うことは、きっと二度と無い。
だからこそ、今の自分に残ったのは喪失感だった。
行く先先で出会う人達との別れは思ったより呆気なくて、今は思い出しては「あんな事もあったな」と過去を懐かしむことしかできない。
「あの子は今何をしているだろうか」「どんな大人になったのだろうか」
自分の中では、出会った人達の年齢はその当時のままだった。今の自分には想像する“あの子の今“も無いことが確かだった。
私が思うのはいつだって未来ではなく過去だ。
あの日の自分のこと、数年前の夕方のこと、思春期真っ只中の夏のこと。
どれも綺麗な記憶ではないけど、忘れたくない、忘れられない記憶ばかりだ。
今日一日を過ごして、何だかそんな大袈裟なことまで考えてしまった。20歳を越えて自分の中で無駄だと思っていた友達付き合いがいつの間にか「ずっと続けば良い」と少し思えるようになってきた。10代の自分だったらきっとそんな事微塵も思わないのに。
多分、自分が自分でいられる、素の自分のことを許してくれる人こそ手離したくないと思うんだろうな。
これから先歳を重ねても、こんな自分と笑いあってバカ騒ぎしてくれる人を大事にしたいと思う。
あと今日のフェス、
長い串に刺さったマシュマログミとかいう600円もしたお菓子が思ったより美味しくなかった。