たぶんこれで永遠に損なわれたものがあって、圧倒的不可逆性でもってもう戻れない。
綺麗だった、儚くて夢みたいで継続することはできなかったもの。
なりたい大人になるには置いてこなくちゃいけなかったもの。

女は精神論を語ります。
バカみたいに延々とさ。
愛しいけど脱ぎ捨てたいけど一生そんなことたらたら喋ってる。


2013年、長い髪を切った、眼鏡もさよならした、最高に綺麗な恋もさよなら。
ため息を付くようになった。

結論、愛ってなんやねん
今抱えてる悩みなんていつか解決するものじゃなくて、この先一生持ち続けていくものなんだとわかったら身動き取れなくなった

たとえばこのまま死ぬまでお金に追われて生きていくならここで消えてなくなりたい、額の浅いうちに

いつまでもクソガキなんだよなー、一生成長しないよ
したいことをやりたいように好き勝手に生きてたらしたいことがなくなった
けっきょく自由を履き違えてただけであって、、

人に思い切り見下されたい、それでものすごく罵られたいけど
嫌味だけは言ってほしくないんだよな~


空気のすんだところでいつまでも静かに星を眺めていたい
できればそこには誰かがいてほしい
無関係な誰かの方がかえって楽なのかもしれないね


なんていつまで高校生みたいなことを言ってるんだろう、、
今の自分負のオーラすごすぎてブラックホール。
もうねー、クソガキな自分を受け止めきれないんだよ、ギブアップ!助けて!
(それでいて他人はもっとクソガキなんじゃないかなんて見下してんだよ、救いようないよねー)
謙虚な人が自分に特殊な価値を認めようと試みる場合を想像していただきたい。
そして、自分にはこのことに対する才能があるだろうか、あるいはあのことに対する才能があるだろうか、またなんらかの分野で人より優れているだろうかと自問しながら、結局は自分になんら傑出した資質のないことに気づいたとする。その時彼は、自分が凡庸で、平凡で、天賦の才に恵まれていないとは感ずるだろうが、自分が「大衆」であるとは感じないであろう。


昨日授業で「大衆の反逆」の何節かを配布されたのね。
この一節読んではっとなったのね。
つまりわたしもここでは大衆ではなく謙虚であれるわけね。
実際の生活レベルでは知らないけど。。

自分が凡庸だと痛感してからがはじまりだよね。
早乙女がいってたけど十代から駆け抜けてる人には到底追いつかない。
そういう受け止めるしかない事実。
それでどうするかってことよね。


目指す人間像はまだはっきり定まらないけど、
大衆にはならんぞ!
久しぶりに、むしろはじめてここまではっとなる文章に出会ったので紹介。
邁進してまいりましょう。。