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【身近な親しい人が「死にたい」と言っていたら何と答えますか?】

【倫理・道徳よりも更に深い哲学が必要な時代】

 

 

最近の若い人は「死にたい」という言葉を気軽に使います。

「恥ずかしい」や「疲れた」という意味合いで使う場合もあります。

人の気持ちを引き付ける為に常套手段として口にする人も中にはいるかもしれません。

 

だけどもし身近な人がこの言葉をつぶやき、直感的に不安なものを感じた時、

あなたなら何て言葉掛けをしますか?

 

「何があっても死ぬのだけは駄目だ」

「親よりも先に死ぬのは最大の親不孝」

これらの言葉掛けは抑止力になるので大事です。


だけどあくまでも応急処置であり、また、逆効果になってしまう恐れもあります。

何よりも「なぜ死んではいけないのか?」理由が必要になってしまいますし、

本気で死ぬことを考えている人は、既に多くの事を天秤にかけ、考察済みだったりします。

「生きている理由がない」と結論付け、自分のその考えに敗北している場合もあります。

その考えの詰まりを除いてあげ流してあげる、これも第三者が出来る応急処置の一つです。

 

 

ではどのような言葉だったら相手が心を開いてくれる鍵になり得るのか?

私なりの見解ではこうです。

 

「生まれたことが無いのだから、死ぬことも無い」

 

そもそもなぜ「死にたい」と思うのか?

それは自分は生きていると思っているからです。

死ぬことを否定するのではなく、生きていると思い込んでいる前提の方を否定します。

 


思い悩み弱っている相手に否定の言葉掛けをするのはかなり勇気が要る事ですし、

これはお釈迦様が実施した手法なので、般若心経の理解が無いと弱気になりがちです。

だけど般若心経は理解していなくても大丈夫です。

 

「〇〇さんは自分は生きていると思っているみたいだけど、実はまだ生まれてもいないんだよ。」

相手を生かす為のあなたの必死さはポジティブな優しさとして言葉に乗っかり、相手に届くはず。

そして少しでも相手の関心をこちら側に向けさせる事ができれば、第一段階成功です。

 

しかもパワーワードは使う本人にもブーメランのように返ってくるので、

お釈迦様の言葉を頭ではない別の場所で理解する、という経験ができるかもしれません。

 

 

社会が成熟した今、倫理・道徳よりも更に深い哲学が必要な時代に入ったのだと感じています。

 

日本人は口に出して相手に伝えるのが苦手な方が多く、かく言う私自身もその一人です。

 

「言葉にして相手に伝える」

これは本来学校教育で培われなければならない基礎能力だと思っています。

 

 

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クリエイティブ・ディレクターKobayashi

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