私のトラウマの話 | 心の傷を治し、喜びの中で生きる。RCメソッド認定カウンセラー

私のトラウマの話

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こんにちは

はなえです

 

 

今日は、昨日あった私のトラウマを外した話。

 

未処理のトラウマ、というのは小さいものほど見過ごしやすいです。

それほど日常生活に支障がないからです。

 

多くの人が、それほど支障がないトラウマは、気づいていなかったりします。

でも幼いころにあったことで、印象強く覚えていることは、記憶にすぎないのかトラウマ化しているのか、というところでは、もし感情が動くならトラウマです。

 

昨日、これはトラウマから来ているな、というものがありました。

 

以前から保育園時代の記憶で、印象的なことがあり

でも日常に支障がなかった件がありました。

 

保育園の遠足で、母がお弁当を作ってくれず、菓子パン一個持たされた

という体験がありました。

 

その時の写真を見ると、その瞬間の自分の感覚や感情が、今の事のように鮮明に追体験できるくらいに覚えていました。

 

でも、覚えているけれど、つらいとか苦しいとかないし害がないので、嫌な思いをしたその鮮明な記憶があるというのを認識はしつつトラウマとして処理はしていませんでした。

 

まぁ、そういうのは気が付いたときにやればいいと思います。

 

 

それで、昨日、幼稚園の遠足があったのです。

おにぎりを持たせる必要がありました。

 

私は日程を勘違いしていて

給食の日だと思い、おにぎりを持たせずに送り出しました。

 

幼稚園から、その旨と対応していただけるという連絡をもらいました。

 

 

そこで、自分の保育園時代のトラウマとリンクして

すごく悲しい気持ちになりました。

 

ミスはミス、うっかりしたのは事実ですが

それ以上にとても悲しくなりました。

 

いやこの感情の動きは、過剰だなと思い、すぐに過去のトラウマと紐づけられていると確信しました。

 

その時私が悲しくなったのは、もしろん親としてやってあげられなかった、娘へのゴメンと言う気持ちがありますが、そのゴメンと言う気持ちは

 

娘がどれだけつらいか=あの時私がどれだけつらかったか

 

という、娘のつらさ、悲しさが私の過去の体験に直結して、同じくらいつらいだろうという前提で心を痛めていたわけです。

(実際に娘はあまり気にするタイプではありませんし、私の時とは状況が違います)

 

娘と私は別人間です。

しかし同じように悲しいだろうと先入観を持つのはトラウマが残っているからです。

 

これまでこの過去のトラウマが害になったことは無かったけれど、強い悲しさがあったために今回の件を客観的に見て観察することが出来ました。

 

 

そしてまず過去のトラウマの処置。

悲しかった気持ちを受け止める。

何が嫌だったのかを明確にする。

その時、周囲の反応や起こったことを整理。

自分の必要が満たされなかったことと、自分の価値の分離。

母の影響、関係性を現在と切り離す。

 

これらのことをやって処理すると

 

現在目の前で起きているトラブルに対する過度の反応が消えました。

もちろん帰宅してから娘とも話し合い、謝罪をし、気持ちを聞き取り、意見を交わし。(娘は気にしてませんでした)

私も、状況を見て娘はびっくりしただろうけれど、悲しくなったりするような場面ではなかったことを確認。

 

 

ということで

こんな風に、何かミスやトラブルが起きたときに

すごく気にしてしまったり、引きずったり、ずっと落ち込んだり、すごく悲しい、すごく怒りを感じる

そのようなときに過去と紐づいていることがあります。

 

トラウマがなくても、トラブルとかミスって、慌てることですし。

ちゃんとできなかったことに、落ち込んだり気にしちゃったりしがちですし。

 

カウンセリングでは、モヤモヤを残さないように、気持ちの整理をします。

そういう時にも、申し込んでくださいね。

 

 

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