察する必要
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こんにちは
はなえです
世の中がまた荒れてきましたが皆様お元気でしょうか。
私は元気です!
カウンセリングお申込みお待ちしております!
今日は日本の察してほしい文化について考えていました。
そもそも日本の言語は文脈などから察する必要がある言語です。
外国のように複数形などはありませんし、単語に女性・男性の性質を含みません。
言わんとすることを察する場面が多くなります。
そのため最初から、日本に生まれて日本で育つと、察することを求められます。
本当の言葉にある裏側の意味を読み取る必要性。
でも、子どもってそこまで察することが出来ない。
たとえば親が
「ぶくぶく太ってみっともない!もう食べちゃダメ!」
と言ったときに
本当に言いたいことって
「あなたのことが心配、あなたの健康を守りたい、親としてあなたを管理する責任がある」 などのことが本質ですよね。
でも上記のように言われたら
「太ってる私はダメなんだ」という自己否定につながったり
食べちゃダメということばで「飢え死にしてもいいんだ、わたしなんかいらない子なんだ」と思ったり
本質とズレた受け取り方をしてしまうことも。
幼いころから本質を察することが出来る子ももちろんいるけれど、そういう子だって察し方にゆがみやクセがが出てきちゃう。
もともとの日本文化が、境界線が緩い文化であり、個人主義がなかなか通りません。そんなところが言語にも表れているのかな、と考えておりました。
めんどくさくて曖昧で、なかなか住むに落ち着かない社会だなぁ、なんて思ったりします。
外国ドラマを見ていると、察してほしい的なことが少な目なので、気が緩みます。
私は察しの悪い人間ですが、本質を見るのは得意です。
というかそれが出来なきゃカウンセラーできない。
そして察してほしいというにおわせは、無視します(笑)
○○してほしい、と言われれば可能な限りOK出すけど。
察してほしい人に合わせなくてもいい。
察することに疲れちゃった人は、境界線整えに来ませんか。
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2021年
子どもに、パートナーに、怒らなくてよくなる
怒りに振り回されなくなるためのグループワークは次回は2月です。