いつものように、スッピンで髪の毛も手櫛で朝早くドライブして、お隣の州、ヌグリ・スンビラン州へ。この日はGunung Berembunに登山する予定で向かった私たち。一時帰国で、登山予定なので、似たような標高と行程時間を選んだつもりだった。(いつも。「つもり」が曲者だけれど…)登山口で、入山料を払ったけれど周りはマレーシア人のみ。
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このブルーの四角(左側)マークから、飛行機マークまで
行って降りて来る行程を考えていた私たち。
朝7:59に出発!
天気は良いし、このルートは、ジャングルの中で眺望は望めない。
最初は川の脇をずっと歩くコース。
時折、その川に交わる沢や小川を越えて行く。
こんな感じね。
水は冷たく、でも濡れないように石の上を越えて…
右上のLata Berembunを越えなくてはいけないので、
夫はそのままジャブジャブと…
みんな一応、濡れないように石の上を歩くけれど、
最後まで濡れない人はいないと思う。
私は絶対濡れたくないので、最初から靴も靴下も脱いで川越え。
滝の後も、沢越えがいくつか。
でも、濡れずにOK!
濡れると、歩きづらいのと、ヒルが入って来ても
気が付かないような気がするから…
途中、ヒルを何匹か見たけれど。
左はジンジャーの一種。
右は柑橘類だと思ったら!
マレー系のオジサンが、
「野生のカカオの実だよ」と教えてくれた。
わざわざ半分に切られたものが落ちていたけれど、
本当にカカオだった
無事にGua Kambingまで。
1時間半で歩き、ここから1時間の急な登りになるはず...
最後の沢を越えて、
1時間の難行苦行の始まり。
ここは60度ぐらいある斜面もあったりして、
登るのも大変だし、土壌が粘土質で歩きづらい。
普段、ほぼ登りでは休まない私が、
この1時間に何度も立ち止まっては、
息を整える必要があった。
本当に辛かった…
(帰りはもっと大変だった!)
ヒルに捕まらないように、ヒル除けスプレーをシュッシュして…
こういう枯れた葉っぱが堆積しているところは要注意!
でも本当に美しい~!
マレーシアの大自然の中の大気は濃い。
マイナスイオンの世界...
もう1時間になるよ、と言うところで…
無事に頂上にリーチ。
1,014mだけれど、周りは何も見えない。
深い山の中だ。
ヘトヘト、ヘロヘロ...
10時半ぐらいだったけれど、早めのランチ。
そうしたら!
「あれ?みぬぅさんじゃないですか?」
と、日本人男性に話しかけられて、唖然!!!
汗だくでグチャグチャ、ヘロヘロ、
オバチャン疲れしているし、こんなところで、
誰かに会うとは!
「ブログを読んでいますよ」
と、言われて…
あっ、読者の方?
こんな山奥で?
そのままその男性は、次の目的地へ向かわれていました。
ああ、恥ずかしい…
左はタイ北部のパーイの素敵なオーガニックカフェで作っている
ドライマンゴー。
これは絶品!!!
右のスニッカーズは、画像奥の
マレー系の父子が
私が日本人だと分かって、
「食べますか?」と差し入れしてくれたもの。
お礼に日本の渋い印象の塩飴を差し上げました。
ここから目指したのが、第二次世界大戦の終戦3日目で
この山に墜落したイギリス軍の援軍機の残骸が残っている場所。
この辺りから、中華系の若い2組のカップルと
抜きつ抜かれつ歩くように。
プラス、後ろから、マレー系の4人組。
オジオバでも、意外と速く歩く私たち。
その中華系の若い子たちが、座っていたのが、
この景色が見えた手前。
ちょっと話をして、この絶景ポイントへ。
ここと、もう一ヶ所しか、眺望を楽しめないほどの山の中。
面白いキノコと、棕櫚の実を見ながら…
Berembunの頂上から30分ぐらいだと勘違いしていたら…
1時間強ぐらい!歩いた!
ここは稜線のようになっていて、両脇が下り坂。
でもずっと林の中。
着いたのが、RAF B26 Liberatorの墜落場所。
ここは6年前に1度来たことがある。
稜線の反対側には、すでに枯れ木のようになっている、
主翼のひとつ。
こんな大きな主翼だったから、胴体も大きかったに違いない。
(画像はお借りしています)
こんな大きな飛行機だったようで…
戦犯として旧日本軍に囚われていた兵士たちのための
救援物資を搭載していて、この山の上で墜落した模様です。
でも、イギリス軍は、当時、飛行機は海に墜落したと信じていたとのこと。
斜面には花も咲いていて…
この斜面にも、部品が残っている。
確か、この部品の本体にはRegulatorと書いてあったように思う。
この墜落機は、山奥の斜面に墜落したのだけれど、
衝撃の大きさは主翼の一部が稜線の反対側に突き刺さっていて、
胴体や他の部分は反対側の斜面の下の方に横たわった形でも、
大変大きかったと思える。
もう一つの主翼ももげて、胴体よりも上に落ちている。
植物と一体化したエンジンも見える。
こんなジャングルの中だから、発見されるまで
異国の地で安らかに眠れなかっただろうと想像します。
ここで、先ほどの日本人男性と会い、
しばしお話タイム。
この先のTelapak Burukまで行くかどうかの話になった。
彼らは、「行かない」とのこと。
そしてこのBerembun山の登山は10月から
ガイド付きじゃなければ、登頂できないかもしれないとのことを
話してくれました。
その前にぜひ、と登山されたそうです。
私たちは、能天気に、日本での登山練習のために…笑
胴体のところで、記念撮影。
下は中の部分。
実はこの墜落機を発見したのは1,900年後半で、
オランアスリ(少数先住民)が最初に発見してから、
数十年後の2,009年にマレーシアのボランティアの方々、
イギリス軍将校が2名で遺骨や、形見の品々などを発見して
持ち帰り、2,012年にやっと公式に埋葬されたそうです。
以前行った時よりも、下草が伸びて
やはりコロナの3年間のロックダウンを経ているので、
凄い状態...
こんな急な斜面を降りたところに横たわっています。
もうすでに悲惨なイメージは何もなく、周りの自然は清らかなまま。
マレーシア人の60代以上、特に中華系の人たちは、
旧日本軍に恨みを持っている方が多いですが…
今の若い世代の中華系もマレー系も、
そういうそぶりは微塵もなく…
この場所を訪れても、誰も旧日本軍に触れることもなく、
反対に一緒に稜線の上で休んでいたら、
「あと2.5kmでTelapak Buruk山だから、一緒に行きましょう!」
と、説得されて…
それに乗ってしまったオジオバ。
普段なら、夫がブレーキ役になるのに、彼まで
その気になったんですねぇ...
この8人の中の半分ぐらいは私たちが
親でもおかしくないぐらいの年齢!
ここから先は、本当に苦難の道だった...
インスタもしています。