明日で阪神淡路大震災から20年を迎えます。
東日本大震災が起こり、政府現地対策本部の一員として仙台に赴任した時、いつも考えていたのは「阪神淡路大震災からの教訓に学ぶ」ということでした。東日本大震災の死者・行方不明者が阪神淡路大震災を上回ったと知った時、覚悟をしていたとは言え、大きなショックを受けつつ身が引き締まる思いがしたのを昨日のことのように覚えています。
その後も、阪神淡路大震災で仮設住宅に入り一息ついた後に心労やストレス、あるいは鬱(うつ)で亡くなった方々が多かったことを思い出し、初代の復興大臣政務官に就任したと同時に心のケア対策を先回りして取るように指示したりもしました。阪神淡路大震災で亡くなられた方々の命からの学びを生かしたいと考えたからです。
これから、さらに重要な「学び」が待っています。それは何をもって「復興の完成(?)、あるいは支援活動の完了(?)」を意味するのかという、東日本大震災における出口戦略の問題です。
20年という一つの節目を迎え、神戸は確かに復興しました。しかし、阪神淡路大震災に見舞われたさまざまな地域の建物、街並み、人々の心、記憶や想い出…は、どう変わったのか?阪神淡路大震災からの学びはこれからも続きます。