死者・行方不明者22万人を超えたスマトラ沖地震から10年を迎えました。今でも鮮明に覚えていることが二つあります。一つは「20m近くの津波が大地震の後に襲ってくることがある」ということ。もう一つは「地震そのものより津波の被害の方が大きいこともある」ということでした。実はこのスマトラ沖地震の鮮明な記憶は、東日本大震災の大地震の揺れを私が内閣府本庁で感知した瞬間に甦ったのを覚えています。これはある種の教訓から導かれた直感です。「これは大変な地震だ」「津波が来るかも知れない」「大津波が襲えば甚大な被害になる」「すぐに会議を中止して官邸に行こう」…これらのことが一秒以内にほぼ瞬間に脳を駆け巡ったのを今でも覚えています。
今日、話したいのは「歴史や教訓から学ぶ、それを生かすことで防災や減災、被害最小化につながる」ということです。特に大地震や大津波、そして原発事故もそう頻繁に起こるものではありません。だから、なおさら世界レベルの事例を共有化して、決して災害を待っている訳ではありませんが、「次」に備えて行かなければならないと考えています。未来の子どもたちを守ることにも繋がります。
東日本大震災の時、私が常に念頭においていた教訓的事例はスマトラ沖地震と阪神淡路大震災でした。疫病の蔓延がなかったのは幸いでした。復旧から復興へ移る頃の「心の病」は今も最大限の注意が必要だと考えています。しかし、地震・津波被害への対応は防波堤の高さなど幾つかの課題は残すものの概ね順調であるように映ります。
まだ、そこまでの道筋が見えていないのが、原発事故です。東京電力福島第一原発事故の教訓となる事例は二つだけ。誰もが知るスリーマイルとチェルノブイリです。特にチェルノブイリに学べば、日本の子どもたちをほぼ確実に救うことができるのに、どうしてやらないのか…と今、不思議に感じているのが正直な印象です。やっぱり「とにかく原発を推進したい」というかつての国策に沿った東電、御用学者、官僚、読売はじめマスコミが強すぎて、今なおバイアスがかかり、小さなことから大きなことまで、当たり前のことさえうまく行っていないのが現状です。
甲状せんガンの問題だってそうです。チェルノブイリに学べば国はやるべきことを良くわかっているはずです。「汚染地域付近の地物だけを食べて暮らすのは内部被爆の危険性が高い」「甲状せんガンは早期発見で助かる確率は高い」「低放射線量でも長い期間浴び続ければ危険なしとは言えない」「風の影響で放射能がどこに飛び散ったかは、初期の頃とその後ではかなり違う。範囲と方向と量は最新のものでチェックすべき」などです。
過去の事例に学び、それらを教訓として現在に生かす、さらに現在の取り組みを情報として残し未来へ伝える。これは現在に生きる私たちの使命だと考えています。