一度失われた信頼を取り戻すというのは、そう簡単なことではありません。政治という場で今、その課題に挑戦している私たち(民主党)には痛いほどわかります。朝日新聞が一連の問題の総括をようやっと終えて、再出発のスタートラインに立った事を心から歓迎します。
民主党も朝日新聞ももっと早く、自らの社会的使命の大きさを自覚するべきでした。前回の選挙で民主党があえなく敗北した後、政界は「一強多弱」と言われる自民党の一人勝ちが続いています。新聞の世界はどうでしょうか?言わずと知れた読売の一人勝ちじゃないですか!
今回の解散風も読売新聞のスクープから始まりました。「風が自然に吹いた」のではなく、「大新聞の力で吹かされたのだ」とする意見は根強くあります。大政党と大新聞ががっちり手を結び、ついでに大宗教団体までそこに乗っかってしまったら、恐いですよ。
壮大な自由は奪われ、世の中から批判は消え、やがては公正・公平・中立という社会規範さえ破壊されかねません。皆さんはどうお考えでしょうか。
一つ告白します。私は一時期、朝日新聞の購読をやめました。突然、冷静さを欠き感情的になるその論調に嫌気が差したのです。産経新聞のように方向性をしっかり定めた作り方は分かりやすいし、結構多角的・総合的でありながら大所は主筆が決める読売も理解できる。しかし、朝日新聞は同じ紙面の中で相矛盾する論調が衝突し、バラバラ感が見受けられました。そして、もう一つ、リベラリズムを掲げ必死に戦う仲間に向けて、後ろから鉄砲を撃ったとしか思えないことも何度かあり、私にはそれが許せませんでした。それで購読をやめたのです。
考えに考えた末、先日から朝日の購読を再開しました。「朝日新聞にもっとしっかりしてもらわなくては、世の中がダメになってしまう」「読売に対抗できるのは朝日しかない」と考えたのと、もう一つは私の単なる「へそまがり」というか判官贔屓からです。時々、東京新聞の自由で伸びやかな筆のタッチが懐かしくなるし、毎日新聞の独特な視点と味わい深い文章を読みたくなることもあります。しかし、浪人中全紙をとるのは不可能なので、今回は朝日新聞を元気づけたいと購読再開を決めました。
最後に朝日新聞社長がこの問題の総括を終えたことで辞任を表明されました。それは良いのですが、良く聞くと顧問として社内に残ると言う。何か特別な理由があるのでしょうか。ここは後身にすべてを託し、きっぱりと身を引いた方が復活が早いのではないかと考えます。