まもなく東日本大震災から三年を迎えます。大震災で亡くなられた方々のご冥福を改めて心からお祈り申し上げます。
今日は東京の八王子市でこの日を迎えています。複雑な思いです。自らの思いで言えば、「被災地で元気になられた方々と一緒に復興の息吹きを感じながら、新たな課題を噛みしめながらこの日を迎えたかった」です。
 当時の内閣府防災・初代復興大臣政務官として、あの日々を振り返ると、まるで昨日のことのように、はっきりと記憶がよみがえって来ます。先日、偶然に当時の活動を報じた新聞のスクラップや地元用に配った自らの活動レポートを見つけました。改めて読んでみると、いかに純粋に全身全霊を注ぎ込んであの仕事にあたっていたかが伝わって来ました。家族のことも選挙のことも忘れて復旧復興に没頭した訳ですが、今でも悔いはありません。いや、むしろ、「これから先、万々が一、再び、あのような大震災が起こり、あの時と同じような立場で、復旧復興にあたらなければならなくなったら…、あの時と同じように、家族も選挙も何もかも忘れて、行動できるだろうか…?」という妙な不安さえ感じます。
政務官という公職についていたので、あの当時の私の行動や発言は、「細かな指示に至るまですべて記録」されています。私が初代の復興大臣政務官として、初会合で指示したのは「『震災関連死(自殺等)』の記録を正確に取り、『心のケア』をはじめ出来ることはすべてやり、生き残った命が更なる被災者となることを最小限に抑えたい。そのために、全力を尽してほしい。」ということでした。阪神淡路大震災の教訓からです。
その成果は宮城県と岩手県においては、確実にあがったと思います。しかし、残念ながら、東京電力福島第一原発事故の影響が今なお続く中、福島では「関連死」の被害が、震災被害による人数を超えてしまいました。異常事態です。「異常事態だと認識すること」が大事なのです。政府はすぐにさらなる対策、特に放射能の影響等による帰還困難者・家族に対する丁寧な説明と個別指導を行うべきです。
だんだん震災の記憶が薄れてゆく中、与野党質疑を含め、歯がゆい思いで見ています。