(前回「熊野古道:古里海岸から三野瀬駅へ」より続く)

 

 

 JR三野瀬駅より、熊野古道を船津駅に向かいます。

 

 

 三野瀬駅は2面2線。

 

 松阪・名古屋方面は1番ホームで、尾鷲・新宮方面の2番線とは跨線橋で結ばれています。 

 

 

 さて、三野瀬駅からJR紀勢本線を踏切で渡り、南進すると、三浦海岸が見えてきました。

 

 

 トイレや駐車場のある「始神さくら広場」で、

 

 

しばらく休憩した後、

 

 

 上画像の道標を右折。

 

 

 登り口から、峠道に入りました。

 

 

 上図は『紀伊續風土記』の挿図。

 

 道瀬浦から峠を越えると三浦で、三浦から始神峠を越えると、相賀荘の馬瀬。

 

 『西国三十三所名所圖會』(1853年)にも、

 

 始神坂 三浦より馬瀬にいたる間にあり凡一里

 

 

 始神峠は標高こそ147mと低いものの、 

 

 

現地に立つ案内板によれば、東熊野街道では松本峠と並ぶ景勝の地。

 

 

 リアス海岸ということになるのでしょうか、美しい風景を見ることができました。

 

 

 また、ここで江戸道と明治道が合流し、

 

 

分岐するのですが、私は明治道へ。

 

 

 明治道は距離は長いものの、傾斜は緩く、

 

 

途中、大曲の又谷には手洗い場も。

 

 

馬瀬側の登り口からは林道歩きとなり、

 

 

歩いているうちに、

 

 

宮谷池が見えてきました。

 

 

 アスファルト道に出ると、トイレがあり、案内板も。

 

 

 このトイレ(現在地)から始神峠までは約2.5キロ、三浦側の登り口までは約4.2キロ90分の道のりです。

 

 

 

 里に下りて、JRの上里踏切を渡ると、上里の集落に入り、

 

 

簡易駅舎の船津駅が見えてきました。

 

 

 紀勢東線の三野瀬尾鷲間が運輸営業を開始したのは、1934年12月19日*。

 その際、途中駅として船津駅と相賀駅が開業しました。

 

 船津駅の当時の所在地は、三重縣北牟婁郡船津村大字上里*。

 1954年、船津村は相賀町や引本町、桂城村と合併し、海山町になりました。

 

*『官報』1934年12月14日