(前回「熊野古道:栃原駅から柳原観音へ」より続く)

 

 

順礼手引 柳原邑 無量山千福寺

 

との石標の立つ、柳原観音を出て,熊野街道を女鬼峠に向かいます。

 

 熊野街道は、かつての熊野参詣道であるとともに、西国三十三所の順礼道。

 

 曉鐘成『西国三十三所名所圖會』(1853年)が「凡例」で、

 

 世に西国順禮と稍する事ハ往昔東國の人靈場を巡るに道の便宜に伊勢両宮に詣で

 

と書いているように、道の便宜に「伊勢を発端と」し、一番の那智山青岸渡寺に向かう東国の人もあったでしょうか。

 


 上画像は「寺小屋跡」。 

 

 

 浄保法師五輪塔

 

 

 貞享五年の銘があるという、地蔵尊。

 

 

「右 くまの道」の道標。

 

 

 そして、県道119号松阪度会線に出ると、「國束寺観音道」という上画像の道標がありました。

 

 『西国三十三所名所圖會』の「湧福智山國束寺教授院」の項に、

 

 相鹿瀬村の在中に道標の建石あり

 

と書かれているのは、この石標でしょうか。

 

 

 さて、「女鬼峠 相鹿瀬側」との案内板に従い、峠道にかかります。

 

 

 

大神宮寺相鹿瀬寺跡。

 

 

 如意輪観音堂と名号碑(右)。

 

 

 そして女鬼峠が見えてきました。

 

 

『西国三十三所名所圖會』によれば、「上下二十町許」ではあるのですが、

 

 往来少く道すじさみし

 

誰に出会うことなく、少しさみしい峠道でした。