先日、JR紀勢本線栃原駅で下車し、JR参宮線田丸駅まで、熊野古道を歩いてみました。
この日の出発地はJR亀山駅。
上画像は、5番線に停車していた、JR関西線の加茂行普通列車。
それに対して私は、4番線に入線してき新宮行の普通列車に乗車し、
JR紀勢本線の栃原駅で下車しました。
紀勢東線の相可~栃原間が開業したのは、1923年3月20日。
当時の所在地は、三重縣多気郡川添村大字栃原でした*。
なお、同年9月25日、栃原~川添間が開業**したので、同駅が終着駅だったのは、6ヶ月間。
ところで、鐵道省『鐵道旅行案内』(鐵道省、1923年)に、
紀勢東線 この線は相可口から分岐して今川添まで十一哩四分の間開業して居り、十四年三月には三瀬谷まで四哩五分開業の豫定である(略)栃原驛の東三十二丁には柳原観音、東一里半には丹生大師あり
と書かれているように、栃原は丹生大師と柳原観音の最寄駅。
駅前には「近畿自然歩道 丹生の歴史をめぐる道」の案内板と、
大台町「日進地区案内図」がありました。
丹生大師には以前行ったことがあるので、今回は「日進地区案内図」に従い、
川添神社に参拝した後、
国道42号線を横断し、熊野街道を、
柳原観音に向かいました。
上画像は、曉鐘成『西國三十三所名所圖會』(1853年)の挿図「無量山千福寺」。
無量山千福寺 柳原村にあり 真言宗
本尊 巡禮手引観世音
境内の入り口には、「順禮手引観音 千福寺」との標石が立ち、
弘法大師堂、
そして本堂がありました。
『最新三重縣案内』(伊勢新聞社、1932年)は川添村の「名所」として、
無量山千福寺は宮川の上流にあり、安産柳原観音として、伊勢地方に其の名が高い。最近開通した宮川プロペラ船は此處まで通じてゐる。
かつてはここまで宮川プロペラ船が通じていたようです。
*『官報』1923年3月17日
**『官報』1923年9月18日