(前回「中山道:青墓から昼飯へ」より続く)
兜塚を見た後、旧中山道を赤坂宿に向かいました。
天保4年(1833)の建築とされる矢橋家住宅主屋は、右手の表門などとともに、
国登録有形文化財。
赤坂宿の往時の繁栄を偲ばせる、大型の町屋です。
その先の四ツ辻は、
谷汲巡礼街道の分岐点で
「左 たにくみ道」の道標。
右側面は「谷汲山観音夜燈」
左側面は「天和三癸亥十月十八日」。
大田南畝『癸戌紀行』(享和二年)*に、
赤坂の驛に入れば、戸田家采女正殿の領分大垣より足軽二人を出してさきをおはしむ、左に谷汲観音道あり、
と書かれる分岐は、ここだったでしょうか。
道中記史料を見ていると、例えば、喜多見田中家「伊勢参宮覚」(弘化二年)**に、
きそ廻道赤坂宿大桝屋平吉方へ雨天二付九ツ半頃泊ル也、
一 百六十四文 中仙道赤坂宿 大桝屋平吉泊リ
一 廿八文 同 かみゆい
一 五拾六文 同 石の尾〆弐ツ
四日雨天
美野国谷汲くわんおん参拝ス、
赤坂宿で泊まった翌日、谷汲山観音をを参拝した旅人もいたようです。
さて、中山道をさらに東に歩いていくと、市指定重要文化財の「旧清水家住宅」。
続けては「赤坂宿本陣跡」。
この後は、先ほどの四ツ辻に戻り、
左折し、美濃赤坂駅へ。
JRに乗って、帰途に就きました。
*『蜀山人全集』巻一(吉川弘文館、1907年)
**世田谷区教育委員会『伊勢道中記史料』(1984年)