上画像は、「長森立場と名物『長森かうやく』」の案内看板。

 

 盧橘堂適志編『東海道巡覧記』を見ると、「長森村」に、

 

 右 天神社有 上り下り立場なり

 左 山田かうやく店有 名物なり

 

と書かれていました。

 

 磐田市のウェブサイト「文化財について」によれば、店の看板等の「長森膏薬関連資料」(個人蔵)が、市指定文化財のようです。

 

 さて、長森から旧東海道を東進していきます。

 

 『東海道巡覧記』によれば、長森村ー森下村ー宮の一色ー一里塚ー万能村ー大乗院村ー中泉村ー境松村ー見付宿という道順で、

 

 

上画像は、森下の松並木。 

 

 

 

 続けては、宮の一色の「秋葉山常夜灯」。

 

 遠州地方の秋葉灯籠は、鞘堂の中に祀られるのが特徴で、磐田市内には 140 か所余りの灯籠 が現存しているそうです*。

 

 

 中泉の磐田化学工業(株)の北東角には、「黒坊様」。

 

 

 中泉は現磐田市の中心であり、JR東海線磐田駅もかつては「中泉駅」。 

 

 

 磐田駅前の観光案内所に立ち寄って、見付宿や見付学校のパンフレットをいただき、

 

 

20分ほど北に歩くと、「遠州見付宿 木戸跡」の看板がありました。

 

 

 見付は、旧東海道五十三次、28番目の宿場町。

 

 

 現在は、本多隆成・酒井一編『街道の日本史30 東海道と伊勢湾』(吉川弘文館、2004年)に、

 

 見付は都市化による変貌が激しく、本陣・問屋場・高札場なども、その跡地に立て札などの標示があるだけで、少なくとも宿関係の遺跡はまったくといっていいほど残っていない。

 

と書かれる状況ではあるのですが、

 

 

それでも、見付宿場通りを、東進していくと、

 

 

宿場町としての歴史を感じさせる、

 

 

何枚もの案内板。

 

 

 また、多くの文化財が残る町であり、

 

 

中でも「旧見付学校」は、1875(明治8)年の開校で、

 

 

現存する日本最古の木造小学校舎。

 

 

 上画像は『一新講社諸國道中袖鑑』(明治9年)。

 

 見附には、「見附学校」が描かれています。(次回に続く)

 

*磐田市教育委員会『磐田市文化財保存活用計画』(磐田市、2021年)