(前回「藤ノ木古墳」より続く)

 

 藤ノ木古墳を見たのち、同じ町内の法隆寺に向かいました。

 

 和辻哲郎は『古寺巡禮』(1919年)の四十二では、

 

 法隆寺の停車場から村の方へ行く半里ばかり野道などは、遙かに見えてゐるあの五重塔がだんだん近くなるにつれて、何となく胸の踊り出すやうな、刻々と幸福の高まつて行くやうな、愉快な心持であつた。

 

 私は観光自動車駐車場から、300mばかり歩いたに過ぎないのですが、

 


 

和辻哲郎が、

 

 南大門の前に立つともう古寺の氣分が全心を浸してしまふ。

 

と言う、南大門の前に立つと、確かにもう古寺の気分で、

 

 

門を入つて白い砂をふみながら古い中門を望んだ時には、また法隆寺獨特の気分が力強く心を捕へる。

 

 正面四間、奥行三間**という中門を望んだ時には、法隆寺獨特の気分に。

 

 左右に置かれる阿吽の金剛力士像は和銅四年(711)の造立だそうです**。

 

 さて、廻廊の左手に回り、拝観料金1500円を払って、西院伽藍内へ。

 

 

 上画像は、入母屋造二重の「金堂」。

 

 御承知の方もいらっしゃるでしょうが、1949年、解体修理中であった金堂は、失火により炎上*。

 

 上重は、既に解体されていたため部材が残されたものの、下重は新しく作り直し、1954年に再建されました*。

 

 

 続けては「五重塔」。

 

 和辻哲郎『古寺巡禮』が、

 

 もう一つこの日に新發見は、五重塔の動的な美しさであつた。天平大塔が悉く壞滅し去つた今日、高塔の美しいものを求めればこの塔の右に出づるものはない。

 

と書いた、美しい高塔。

 高さは32.5m、日本最古の五重塔だそうです。

 

  

 さて、今日最後の画像は「大講堂」。

 

 延長元年(925)に焼失したため、正暦元年(990)に再建**。

 

 また創建時、廻廊は、金堂・五重塔の背後で閉じており、講堂はその奥に立っていたものが、平安時代に廻廊が裏側に延び、講堂の両脇に取り付いたものだそうです**。

 

*週刊朝日百科『日本の国宝001 奈良/法隆寺1』(1997年)

 

**週刊朝日百科『日本の国宝003 奈良/法隆寺3』(1997年)