先日、相可(三重県多気町)~大石(同県松阪市)間の伊勢本街道を、歩いてみました。

 

 

 JR紀勢本線の相可駅で下車し、

 

 

駅前の道を、北へ。 

 

 

 上画像は、廃業されているかもしれませんが、鹿水亭。

 

 

 

 米津鎌治郎編『三重縣名所圖繪』(伊勢新聞社、1890年)を見ると、相可は「熊野街道之部」なのですが、

 

◎旅舎 車屋一名鹿水亭西岡金助

◎假橋 櫛田川 

◎次へ道順 〇射和

 

と書かれているので、かつては屋号「車屋」という旅舎。

 

 相可は、北の射和を経由し松阪に向かう「まつさかみち」、南に向かう「くまのみち」が、伊勢本街道に交差する交通の要衝でした。 

 

 

 続けての画像は、櫛田川に架かる両郡橋から見た上流方向。

 

 右手が飯野郡射和村(現:松阪市)で、左手が多気郡相可村(現:多気町)。

 

 私は、櫛田川沿いの伊勢本街道を一路西へ。

 

 飯高郡大石村(現:松阪市)に向かいます。

 

 

 上画像は、「相可の道標」(道標広場)。

 

 正面が「伊勢本街道」で、右面が「右くまのみち」。

 

 

 右の道標は「右まつさかみち」で、「左くまのみち」。

 

 

 道標広場の西には、相可名物「まつかさ餅」の長新。

 

 

 この辺りは、相可でも古い町家が見られるところで、

 

 

 

特徴は、入母屋の妻入りということになるでしょうか。

 

 

 相可高校の南西隅には、「千鳥ケ瀬 西行歌碑」。

 

 

 

 現地に立つ案内板によれば、歌碑は明治45年(1912)、右奥の燈籠は寛政四年(1792)の建立のようです。

 

 

 

 さらに西進すると、移設されていはいるのでしょうが、「四疋田の常夜燈」。

 

 

 弘化二年(1845)の建立で、高さ5.5m。現地に立つ案内板によれば、「この街道では最大級のもの」だそうです。