上画像は、多気町西池上(いけべ)の西村家住宅。
唐破風の屋根が付いた縦看板の文字は、
本家勢州神山薬師前いけへ村
御免きんりうくわん
江戸芝神明町分家之外無類大好庵店
「薬種商看板」として、多気町指定の文化財*です。
喜多川守貞「守貞漫稿」**に、
〇芝神明前太好菴金粒丸
より詳しくは、江戸の地誌である『御府内備考』(1829年)**巻之九十の芝之三「神明町」に
一舊家 賣藥屋大好庵村林玄迨
右先祖之儀者(略)恩賞之地勢州池上ニ退居(略)加勢として西池上より中島表え發向(略)寛永年中神明前ニ藥店を開醫業相立傳來之金粒丸を賣弘メ申候家名を大好庵ト申子孫血脈相續仕候
と書かれているので、大好庵は勢州池上から出た村林家の子孫が相続していたということになるでしょうか。
明治に入ってからのものになりますが、松田豊幹編『三重縣下商工人名録』(三重日報社、1893年)の「相可村」を見ると、
いけべ金粒丸本家 池上 村林一郎
上画像は、現在の「太好庵」です。
さて、当時を偲ばせる家並みが残る旧街道を歩いていくと、
西面に「天保十五年辰五月」と刻まれた、
「常夜燈」。
続けて、東池上の集落には、「すぐさんぐう」「右とばかさぎの中」
と刻まれた道標。
ここを右折すると、土羽や笠木の集落に向かう(三重県道119号松阪度会線)ので、私は左折、
JR参宮線とダイヘン三重事業所への引込線の踏切を渡り、
伊勢本街道を、田丸に向かいます。
*多気町役場のウェブサイトより「町内指定文化財」
**『類聚近世風俗志』下(國学院大學出版部、1908年)第二十八編食類
***『大日本地誌大系 第四巻』(雄山閣、1931年)