先日、JR紀勢本線相可駅で下車し、伊勢本街道を田丸まで歩いてみました。

 

 

 芙蓉山人『伊勢参宮細見大全』(1766年)に、

 

 相可より田丸へ二里半

 相可村 客舎茶店有 村の入口八まん宮 右に磯の宮の社 左に川あり 川向を伊佐和といふ

 

と書かれているように相可は、客舎茶店が有る、伊勢本街道の宿場町。

 

 鎌田道隆『お伊勢参り』(中公新書、2013年)によれば、

 

 江戸時代には伊勢商人の本拠地といわれ、熊野街道などの集まる交通の要衝相可をへて田丸へと入る。

 

 伊勢本街道に熊野街道が交差する「交通の要衝」でした。

 

 対岸の伊佐和(飯野郡射和村⇒松阪市射和町)から、櫛田川を舟で渡り、尾鷲・熊野に向かうのが「熊野街道」(後に国道42号⇒三重県道160号線松阪多気線)。

 

 相可の町は、その熊野街道を境に、西の「相可一区」と東の「相可二区」に分かれます。

 

 

 上画像は、バス停「相可一区」付近の町並み。

 

 左手に見えるのは、「まつかさ餅」が名物の老舗「長新」で、

 

 

その東には「道標広場」。


 左手の道標は正面が「伊勢本街道」、東面が「すくならはせみち」で、

 

 

西面が「くまのみち」

 

 一方、右手の道標は、東面が「さんぐうみち」で、「右まつさかみち」「左くまのみち」。

 

 

 現地に立つ案内板によれば、文久三癸亥(1863年)十一月の建立です。

 

 さて、「☜伊勢本街道」との道標に従い、私は旧国道42号を横断し、東の相可二区へ。 

 

 

 上画像は、天台真盛宗の佛乗山往生院浄土寺。

 

 国道42号線の高架下を抜け、JR紀勢本線の踏切を渡ると、

 

 

相可小学校の南に「水分神社」。

 

 

 小祠があり、

 

 

山の神も祀られていました。

 

 

JR紀勢本線佐奈川橋梁の見える池上橋を渡ると、次は西池上集落。

 

 

 『伊勢参宮細見大全』によれば、「相可村」は「あふか」、「池上村」には「いけべ」と振り仮名です。