(前回「伊勢から二見へ(前)河崎のまちなみ」より続く)
『伊勢参宮名所圖會』(1797年)が、
民屋廣く、甚賑し(略)廻船の便よき湊なり
と書いた「河崎」の町を離れ、
二見に向かいます。
同圖會によれば、
二軒茶屋 河崎の往還にて茶屋あり
現地に立つ伊勢市教育委員会の案内板によれば、かつては角屋と湊屋、二軒の茶屋があり、
そのうちの角屋が、現二軒茶屋餅。
同圖會が続けて、
此ところより舟をかり、大湊神社幷に二見邊見物するもよし
と書いているので、
かつては舟着き場もあったのだろうと思います。
さて、明治に入ってからのものになりますが、米津鎌治郎 編『三重縣名所圖繪』(伊勢新聞社、1890年)によれば、
汐合橋(全長八百十尺)・・・濱郷村大字黒瀬(名所、橘神社)・・・同村大字神田久志本ノ内二軒茶屋
ということで、逆方向にはなりますが、黒瀬を経て汐合橋へ向かいます。
上画像は、汐合橋西詰の道標。
「西すぐ二見」と読んでいいでしょうか?
喜多見國三郎「伊勢参宮覺」(1845年)に、
六文 しをあいの 舟わたし
と書かれているので、かつては此処も「舟わたし」。
芙蓉山人「伊勢参宮細見大全」(1766年)によれば、
塩合 茶店有 入海にて舟渡し 舟ちん六銅宛 塩干には歩渡り
なので、干潮時には歩いて渡ることもできたのかもしれません。
上画像は、汐合橋から上流方向を見たもの。
後方に見えているのは、JR参宮線の五十鈴川橋梁で、その背後は朝熊山です。