上画像は、宮川橋から見た上流方向。

 

 右手が旧城田村大字川端(現伊勢市川端町)で、左手が旧山田中島町(現伊勢市中島2丁目)です。

 

 米津鎌治郎編『三重縣名所圖繪』(伊勢新聞社、1890年)によれば、

 

  ・・・〇城田村大字上池・・・〇同大字中須・・・〇大字川端

 ◎宮川〔上ノ渡シ〕是ヨリ宇治山田町ニ入ル

 

で、かつては川端と山田の間を、「上ノ渡シ」が結んでいました。

 

 

 上画像は、暁鐘成『西国三十三所名所圖會』(1853年)の挿圖「柳の渡」。

 

 手前が山田で、対岸が川端。

 

 ともに切妻・妻入りの町屋が並び、川端には掛小屋も描かれています。

 

 

 

 上画像は、現在の宮川堤(川端側)。

 

 

 

 現地に立つ、伊勢市教育委員会の案内板「旧跡 宮川・柳の渡し(上の渡し)」によれば、上方・西国・熊野からの参宮客を、対岸の山田へ、舟で渡していました。

 

 

 続けて上画像は、対岸の山田側の案内板。

 

 「周辺観光案内」と、

 

 

「柳の渡し・中島口大石階段跡・ドンデン場」。

 

 柳の渡しは、1897年の参宮鉄道、1911年の度会橋の開通により、歴史の幕を閉じることになったようです。

 

 さて、宮川堤を下り、旧街道を東に進むと、

 

 

現在は暗渠になってしまい、欄干しか残っていない「筋違橋」。

 

 

 かつては、ここで参宮道と伊勢本街道が合流していました。

 

 先述の『西国三十三所名所圖會』に、

 

 山田の町筋違橋を越え右へ行バ京街道小俣宮川に至

 

と書かれているように、ここを曲がれば、宮川(下の渡し)から小俣を通り、京や江戸に向かう参宮道です。

 

 

 

 さて、小西萬金丹の前を過ぎると、間もなくで外宮。

 

 

 

 鳥居の前では、「須原団」と書かれた法被を着た子どもたちが、

 

  

 

木遣り歌を披露していました。