(前回「宮川の渡しから外宮へ」より続く)
上画像は、古殿地越しに見た、外宮の正宮。
切妻平入の茅葺屋根に、千木が長く伸びています。
現地に立つ案内板によれば、外宮は「豊受大神宮」、祭神は「豊受大御神」です。
さて、外宮を出て、祖霊社の角を右折、古市街道に入ります。
現地に立つ伊勢市教育委員会の案内板に、「かつての古市の町の華やかさを偲ぶことのできる唯一の存在」とされるのが、「麻吉旅館」
一見、木造二階建てなのですが、
傾斜地に建つため階段状で、一番下から数えると五階建てという独特の建築。
国の登録有形文化財です。
古市は、外宮と内宮のほぼ中間。
伊勢古市参宮街道資料館の案内板によれば、参宮を済ませた人々の「精進落しの場」で、
三大遊郭があり、歌舞伎も「役者の登竜門」と言われていたそうです。
ちなみに曲亭馬琴は、『羇旅漫録』(1803年)巻の下「百二十八古市の總評」の中で、
〇伊勢の妓樓しかるべきもの、第一古市、第二松坂、第三一身田、第四四日市、第五津、第六神戸、第七桑名なり。
また、「百二十九 古市芝居の噂」の中で、
〇古市に芝居二軒あり、春と秋興行す。近年春一度興行すとい ふ。一身田も至極繁昌なる地にて、こゝにも芝居あり。八月初旬、大坂より片岡仁左衛門などくだりて、芝居ありといへり。
『伊勢参宮名所圖會』(1797年)も、
古市場 尾部坂の東の町 是より宇治領昔の市場にして繁昌の地なり。茶屋多し芝居有、
と書いていますから、当時の古市は伊勢国内でも、繁昌の地だったのだろうと思います。
さて、古市から牛谷坂を下ると、右手に二基の常夜燈。
そして、同名所圖會に、
牛谷坂を下り、浦田町に入る前に門有り、此門を惣門といふ。
と記される、惣門跡があり、
浦田 牛谷の坂よりさし入の町なり。これより人みな宇治といふ。
と同名所圖會に記される宇治浦田町に入ります。
交通量の多い、三重県道32号伊勢磯部線を横断歩道で渡り、「おはらい町」に入ると、急に人が増え、
〇中之切 浦田の次の町にて、宇治の郷なり。
と書かれる中之切町にある「おかげ横丁」を横目で見ながら、
この日最後の目的地である、宇治橋に向かいました。