先日、旧参宮道(参宮街道、伊勢街道)を、明野から内宮まで歩いてみました。

 

 

 近鉄山田線の明野駅で下車し、

 

 

県道428号伊勢小俣松阪線に出たら、南へ。

 

 

 集落の南端、左手に見えるのは、へんば餅で知られる「へんばや商店」の本店。

 

 安政四年の創業と言われる老舗です。

 

 

 JA伊勢小俣支店が見えてきたら、右手の旧道へ。

 

 入口の新出公園には、上画像の庚申堂。

 

 庚申堂は、旧参宮街道の松阪~小俣間に以下の7カ所(見落としや見間違いがあったらすみません!!)。

 

松阪市・・・上川町の八柱神社前、同市豊原町の願証寺境内

明和町・・・斎宮の秋葉神社境内と地蔵院跡、上野の安養寺

小俣町・・・明野、新出

 

 どういう由来があるのでしょうか?

 

 

 切妻・妻入の町家が今も残る新出の集落を抜けると、

 

 

『伊勢参宮名所圖會』(1797年)に、

 

 小俣 宿驛なり舊名宇羽西村といふ。

 

と紹介される「小俣」宿。

 芙蓉山人『伊勢参宮細見大全』(1766年)にも、

 

宿 入口茶店有客舎茶店多し此地本名宇羽西村といふ小俣小名なりしをいつ頃よりか呼なせし也

 

と書かれているので、旧名は宇羽西村だったのかもしれません。

 

 

 上画像は、同宿の「札の辻」に立つ、「紀州藩高札場跡」の標石。

 

 

続けては汁谷川に架かる宮古橋。

 

 「参宮人見附」との標石が立ちます。

 

 

 

 宮川の堤を越えると、「宮川 桜の渡し」跡。

 

 現地の案内板によれば、宮川上の渡し(川端町)、下の渡し(小俣町)、磯の渡し(磯町)の三ヶ所あったものの、下の渡し(桜の渡し)が一番多く利用された、とのこと。

 

 

 上画像は、『伊勢参宮細見大全』の挿画「宮川」。

 宮川を渡る、渡し舟が描かれています。

 

 喜多見國三郎「弘化二年 伊勢参宮覚」*をみると、

 

 宮川舟たしふなちんいらず、此ふね大神宮様の御地(馳)走ぶねて参宮ノ人わたす

 

 神宮の御馳走舟として、無賃で参宮人を渡していたようです。

 

*『伊勢道中記史料』(東京都世田谷区教育委員会、1984年)