この日は、石部宿から、草津宿まで歩きました。

 

 

 

 上画像は、石部駅前の歌碑 

 

 白真弓石邊の山の常盤なる命なれやも恋ひつヽ居らむ                    

          

                           萬葉集巻十一 ...

 

 手元の古語辞典で見ると、「白真弓」は、一が「白木の檀でつくった弓」で、二が枕詞「弓の縁で、「はる」「い」「ひく」などにかかる」

ということなので、「石邊」にかかる枕詞ということになるでしょうか。

 佐佐木信綱編『新訂 新訓萬葉集下巻』(岩波文庫)では、「白檀弓」で「しらまゆみ」とふりがな、石邊」に「いそべ」とふりがな。詠み人知らずです。

 

 

旧東海道を西へ進むと、

 

 

かつての新道「五軒茶屋道」の分岐があり、

 

 

名神高速の高架下をくぐった辺りからは、北に三上山が見えました。

 

 金山、伊勢落、林の集落を過ぎて、

 

 

上野の集落には、「新善光寺道 從是三丁」の道標。

 

 

六地蔵集落には、六地蔵地蔵尊があり、

 

 

次の梅の木には、「史蹟 舊和中散本舗」。

 

 

 上画像は、『伊勢参宮名所圖會』の挿圖「梅の木」。「ぜさい」という看板が見えます。

 

 秋里籬島『東海道名所圖會』によれば、

 

 こゝに元和の頃梅の木ありて、その木陰にて和中散を製し旅人に賈ふ。本家をぜさいといふ(略)ゆきゝの諸侯多くこゝに駕をとゞむ。

 

 ジーボルトも、『江戸参府紀行』(1826年)*で、

 

 梅木村(Wumine Komura)にある有名な薬屋のたいへん心地よい東屋で休み

 

と書いているので、ここで休んでいるのだろうと思います。

 

 

正門、主屋、隠居屋が国の重要文化財。

 

 

今も「ぜさい」という看板がかかっていました。

 

*斎藤信訳、平凡社東洋文庫、1967年