(前回「旧東海道 鈴鹿峠から土山宿へ(後)」より続く)
土山宿を出て、旧東海道五十三次、次の水口宿に向かいました。
秋島籬島『東海道名所圖會』(1797年)によれば、、
土山 坂の下まで二里半 西立場に多賀神社参詣道の標石あり これより行程十一里なり
『伊勢参宮名所圖會』(1797年)にも、
土山驛 西の入口に多賀道の標石あり
ということなので、当時は、土山宿の西の入口(西立場)には、多賀(神社参詣)道の標石があったのだろうと思います。
それに対して、現在はと言えば、
土山宿から西へ出て、国道1号線を渡ったところに、上画像の標石が二本。
右手の背の低い方は「右 北國たが街道 ひの八まんみち」
左の背の高い方は「たかのよつぎかんおんみち」
側面を見ると、「高埜世繼観音道」。
近江國愛知郡高野村には、世繼観音をご本尊とする、永源寺があります。
さらに裏面に回ると、背の高い方は天明八(1788年)の建立。
現地に立つ、土山の町並みを愛する会・甲賀市教育委員会の案内板によれば、ここが旧東海道と、日野や八幡、多賀、さらには北国街道に通じる「御代参街道」との追分だったようです。
さて、旧東海道は、ここから直進し、松尾川を渡ったのですが(松尾の渡し)、橋がないため、私は側道に入り、
上画像の歌声橋を渡り、対岸へ。
上画像は、歌声橋の中ほどから、松尾川の上流方向を見たもの。
見えている橋は、国道一号線の白川橋です。
『伊勢参宮名所圖會』が、
松尾川 一名外の白川
『東海道名所圖會』が、
松尾川 松尾村の端にあり 一名内白川
と書いているように、(内か外かはともかくとして)松尾川は、一名「白川」でした。
続けて上画像は、同橋から下流方向を見たもの。
左手から合流するのは、田村川です。
さて、歌声橋を渡った先の、前野集落で、旧東海道と合流。
現地の案内板によれば、
明治13年3月1日に右側の道ができて東海道の道路が変更された。
また、山縣順編輯『滋賀縣管内甲賀郡誌』(明治13年)に
松ノ尾川橋ヲ超へ前野ニ至ル製茶家舗ヲ聯子採茶謡聲園ヲ隔テ唱和ス
と書かれているので、明治13年に、現在の歌声橋の前身?、「松ノ尾橋」が架けられ、道路が変更されたということになるでしょうか。
前野集落は茶の産地。かつては、採茶の謡聲(歌声)が聞かれたのかもしれません。
上画像は、旧東海道沿いの製茶家舗?、「聴松園茶舗」の建物です。