今日は、愛知県新城市作手清岳にある「古宮城跡」の画像をご覧下さい。

 

 

 上画像は、新城市作手歴史民俗資料館にある、古宮城址の模型。

 

 左下は、2012年9月30日付『中日新聞』の記事「ぶらり三河㊹」で、

 

 「新城市作手清岳・古宮城」 「信玄築いた天然要塞

 

との見出し。

 また右下は、2015年2月15日付『中日新聞』の文化面「城に歴史あり」なのですが、

 

 「信玄の卓越した築城術」「古宮城

 

との見出しが見えます。

 

 古宮城は元亀三年(1572)、武田方の築城*とされる「平山城」。

 

 

 

 南麓にある白鳥神社の右手(東)に、駐車場と案内板があり、

 

 

登城口は、社殿の右手(東)。

 

 

 階段を上がっていくと、

 

 

虎口があり、

 

 

枡形を抜けると、

 

 

主郭(下段)に出ました。

 

 この古宮城の特徴の一つは、

 

 

主郭の中央に、仕切り土塁があり、下段と、

 

 

上段に分かれていること。

 

 また主郭の周囲には、土塁が巡らされ、

 

 

主郭の南西角には、櫓台があります。

 

 

 さて、主郭の西には、これもこの古宮城の特徴である「大堀切」があり、

 

 

 

その西には曲輪Ⅱ。

 

 

こちらも、中央の仕切り土塁をはさんで、

 

 

上段と下段に分かれていました。

 

 さて、帰路は、大堀切を南北に歩いてみた後、

 

 

主郭から東へ。

 

 

こちらにも「虎口」との表示があり、

 

 

左手(南)に、高い土塁がありました。

 

 

 今日最後の画像は、新城市作手歴史民俗資料館で見つけたスタンプ。

 

 古宮城は、日本城郭協会選定の「続日本100名城」です。

 

*『愛知の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版、2010年)は、「武田氏に限定するのは早計である」。また、『東海の名城を歩く 愛知・三重編』(吉川弘文館、2020年)は、「徳川家康によって築かれた可能性が高い」としているので、即断はできないのかもしれません。