名電長沢駅周辺は、音羽川が作った長い沢筋を、旧東海道、国道一号線、名鉄名古屋本線、東名高速道路が通り抜ける、交通の要所。

 

 岩略寺城跡は、その長沢を見下ろす、比高約100mの山城*

です。 

 

 

 駐車場に車を置き、

 

 

山道に入ると、

 

 

「本曲輪へ」との道標。

 

 

 急坂を登ると、井戸曲輪があり、

 

 

本曲輪に出ました。

 

 

 本曲輪の西には土塁、

 

 

本曲輪と二ノ曲輪との間にも土塁があります。

 

 

 

 また、本曲輪の西、一段下には「腰曲輪」があり、

 

 

本曲輪の北西裾部には「三日月堀」。

 

 成島司直撰『改正三河後風土記』(1832年)巻第八の「長澤落城の事」**に、

 

 其頃今川方の糟谷善兵衛宗益小原藤十郎鎮吉(肥前守鎮實が子)三州寶飯郡長澤の城に有りて近江を侵掠するにより松平勘四郎信一石川日向守家成等をして是を攻めしめらる

 

とあるのは、この岩略寺城***。

 

 城の守将小原藤十郎を討取て御感を蒙る糟谷善兵衛は漸く城を逃出て駿河をさして落行ける。

 

永禄四(1561)年七月に落城しました。

 

*『東海の名城を歩く 愛知・三重編』(吉川弘文館、2020年)

 

**金松堂、1886年(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

***豊川市のウェブサイト「とよかわ歴史街道」より「戦国の城