上画像は、1961年11月27日(月)付け『毎日新聞』の8面。

 

 見出しに従い、右上から見ていくと、 

 

 前日の11月26日(日)は、全日本実業団バスケットボール選手権大会の最終日で、男子は日本鋼管が9年連続、女子は日紡平野が3年連続の優勝。

 

 全日本バレーボール選手権も最終日で、女子は日紡貝塚が4連覇で鐘紡四日市が3位、男子は東レ九鱗会が初の栄冠。

 

 『経済白書』で商品別輸出実績を見ると、1961年度までは、「繊維及び同製品」が、輸出金額トップ。

 

 当時は繊維が日本の主力産業ですから、企業スポーツも、繊維産業の果たす役割が大きかったのだろうと思います。

 

 次に左上に移ると、関東大学サッカー一部リーグ最終日では、中大が宿願の初優勝。

 

 関東大学ラグビーAブロックでは、明大が7年ぶりの優勝。

 

 そして、左下、全日本体操競技選手権大会では、小野が体操と鉄棒の2種目で優勝。

 

 「日紡貝塚」というと「東洋の魔女」、体操で小野というと「小野に鉄棒」というフレーズを、思い出される方もあるかもしれません。

 

 

 続けては、同日の7面。

 

 前日の11月26日(日)は、大相撲九州場所の千秋楽で、大鵬が北葉山を破り、13勝2敗。

 4回目の優勝を果たしました。

 

 

 星取表を見ると四横綱で、東方が若乃花と柏戸、西方が大鵬と朝潮。

 

 秋場所後、大鵬と柏戸は、そろって横綱に昇進しているので、この九州場所が、「柏鵬時代」のスタートだったということになります。

 

 

 さて、次は、同日の番組欄(ラ・テ欄)で、左がラジオで、右がテレビ。

 

 前年の1960年のデータになるのですが、テレビの平均視聴時間(平日)が56分であるのに対し、ラジオの平均聴取時間(平日)は1時間34分*。

 

 続けて、同年6~7月のラジオの聴取率を見ると、①月曜夜8時からの「お父さんはお人好し」(花菱アチャコ、浪花千栄子)30%、②月曜夜7時半からの「三つの歌」(宮田輝アナ)で26%、③は同率で、毎曜日朝七時からのニュースと月曜日夜8時半からの「私は誰でしょう」が23%*。 

 

 

 

 NHKラジオ第一放送の「ゴールデンアワー」が人気番組で、高視聴率だったということがわかります。

 

 山川静夫「ちょっといい話」**を読んでいたら、「お父さんはお人好し」は、1954年から1965年までの放送で、第4代の司会・ナレーション担当が山川静夫アナ。

 1965年2月23日に感動の500回目を録音し、幕を閉じることになったそうです。 

 

 白黒テレビの世帯普及率を見ると、1958年の10.4%から⇒1959年23.6%⇒1960年44.7%⇒1961年62.5%⇒1962年79.4%

⇒1963年88.7%と、急上昇**。 

 

 日本経済においても、スポーツやメディアの世界においても、この頃が、一つの時代の転換点だったのかもしれません。

 

 白黒テレビは、1958年7月~1961年12月の「岩戸景気」における「三種の神器」の一つでした。 

 

*星暁子「データで見るラジオの聴かれ方」、『NHK放送文化研究所年報 2016』。

 

**『オール読物』2021年7月号

 

***内閣府のウェブサイト「統計表一覧」より「消費動向調査」