(前回「旧中山道鳥居本宿」より続く)

 

  鳥居本宿から中山道を北に向かうと、国道八号線に出て、矢倉川を渡ることになります

 

 

 太田南畝『壬戌紀行』(1802年)に、

 

 山を右にし田を左にして、ゆくゆく矢倉川を渡る。石橋なり。左に石表あり。北國まへはらきのもと道とゑれり。

 

 また、秋島籬島『木曾路名所圖會』(1805年)巻一に、

 

 米原道 矢倉橋といふより道あり。米原まで三十町、北國街道という石表あり

 

と書かれているように、矢倉橋の北詰が、米原・木之本へ向かう北国街道の分岐点。

 

 中山道はここで、北国街道(現:国道八号線)と分かれ、右手の摺針峠(磨針峠)に向うことになります。

 

 

 また、太田南畝『壬戌紀行』が続けて、

 

下矢倉といふ所より、坂を登る事高し。 


と書いているように、ここから登り坂。

 

 

 

 短距離ではありますが、舗装された市道に並行し、旧道が残ります。

 

 

 

 そして、坂を登り切ったところには、

 

 

 望湖堂跡の看板。

 

 太田南畝『壬戌紀行』によれば、

 

 登りつくして、左の方の茶店を臨湖堂といひ、右の方を望湖堂といふ

 

ということなので、当時摺針峠には茶店が二軒。

 琵琶湖側から見て、右手(南)が望湖堂だった、ということになります。

 

 望湖堂より見る所、西南に比良のだけ高くそびえ、それより南につらなる山々近きあり遠きあり(略)湖水その中央にたゝへたり。

 

 望湖堂からは、湖水をたたえている琵琶湖や比良山を望むことができました。 

 

 

 

  上画像は、『木曾路名所圖會』の挿圖「磨針嶺」*。

 

 太田南畝とは向きが逆になりますが、左手が望湖堂で、右下に松原内湖。

 礒山や礒村の向うは、琵琶湖なのですが、「竹生島」や、対岸に「今津」、連山には「比良」の文字も見えています。


 ただ、残念なことに、望湖堂は1991年に焼失**、

 

 

 

現在の建物(田中家住宅)はその後の建築ということになるようです。

 

 

 ところで、上画像は、現在の摺針峠からの眺望。

 

 斜めに走る電線が邪魔ですが、松原内湖は、1944~1948年に干拓され水田になり、正面にはフジテック株式会社のエレベーター研究塔。 

 

 2006年完成で、高さは170m***ということなので、麓からの比高約90mの摺針峠より、80m程高い計算になります。 

 

* 大日本名所図会刊行会, 1919年

 

**木村至宏編著『近江の峠-その歴史と文化-』、サンライズ出版、2007年

 

***同社のウェブページ「沿革」より