愛知県豊田市大内町に、大給(おぎゅう)城跡があります。

 

 

 林道から「大給城跡 ➡ 」との道標に従って、階段を上ると、

 

 

 右手に松平乗元の墓所が見えてきました。

 

 乗元は、松平氏第四代当主親忠の次男で、大給松平氏の祖。

 

  大久保彦左衛門忠教の『三河物語』*によれば、第三代の和泉守信光が、

 

 大給・保久ヲ責被取せ給ひて、岩津之城をバ、御惣領職へ渡サせ給ふなり。

 

ということなので、大給の城は、信光が攻め取ったもの。

 そして、

 

 大給の城をバ、次男源次郎殿に御譲り有。 

 

 大給の城を譲られた幼名源次郎が、後の乗元です。 

 

 なお、前回のこのブログ「高月院」で登場した、高月院第七代住持の超誉存牛は親忠の四男にあたるようです。

 

 

 また、大給城は、標高204mの山上に築かれた山城で、『東海の名城を歩く 愛知・三重編』(吉川弘文館、2020年)によれば、「三河地域で最大級の中世城郭」。

 

 

 松平氏館跡、松平城跡、高月院とともに、国の史跡「松平氏遺跡」です。

 

   大手口は東側で、

 

 

堀切があり、

 

 

虎口を抜けると、

 

 

 曲輪Ⅱで、

 

 

東に土塁。

 

 

 そこから西へ、石塁?の間を抜けていくと、

 

 

主郭に出ました。

 

 

 主郭の東には石塁があり、

 

 

西には、「大給城址」と彫られた、大きな石碑。

 

 

私が行った日には、桜はまだ3分~5分咲きという感じでした。

 

 

 その西にある「物見岩」からは、西方向の展望。

 

 正面に見えるのは巴団地で、左奥は東海環状道の橋脚でしょうか。

 

 

 さて、展望を楽しんだ後は、

 

 

 南に下って、曲輪3へ。

 

 

 

 こちらは居館跡だったようです。