今日は、「白子観音」(子安観音寺)にある山口誓子の句碑の画像をご覧下さい。

 

 

 

 一つ目は、門前の左手。

 

 

 寺の古び月夜のけふのごときはなし

 

 1950年9月の作で、第九句集『和服』(1955年)所載の句。

 

 同書の後記によれば、1948年10月3日、四日市市の天ヶ須賀海岸から鈴鹿市白子鼓ヶ浦海岸に引っ越し、1953年10月24日まで滞在、保養に努めていました。

 

 

 門をくぐり境内に入ると、正面に本堂があり、

 

 

右手に三重塔。

 

 

 塔の足下には、

 

 花の香のたえぬ恵の御堂かな  

 

 五老井梥雄の句碑があり、

 


また、塔の脇を奥に入ると、鈴鹿市在住だった歌人山中智恵子の歌碑

 

 法の道かぎりもあらね真言の 朱の衣の人のたふとき

 

 

 

 そして、山口誓子の句碑がありました。

 

 螢獲て少年の指みどりなり

 

 こちらは、彼の第八句集『青女』(1950年)所載の句で、1947年6月25日の作。

 『自選自解 山口誓子句集』(白鳳社、1969年)によれば、

 

 保保村というところへ行って、蛍狩をした。(略)その夜、泊まるべきK家の姉弟が一緒に来た。(略)弟は少年であった。その少年は、蛍を捕って、それをつまんで、籠に入れようとした。そのとき、つまんでいる親指と人差指を、蛍の碧い火が照らした。

 

ということなので、三重県三重郡保々村(1956年、四日市市に合併)で詠まれた句。

 このK家とは国保家、弟とは国保元愷氏ではないかと聞いたことがあるのですが、どうなのでしょうか。

 

 

 さて、今日最後の画像は、三重塔の右手にある誓子の句碑。

 

 虹の環を以て地上のものをかこむ

 

 句集『和服』(1950年)所載の句で、1950年1月の作。

 

 彼は、『自選自解 山口誓子句集』(白鳳社、1969年)の中で、

 

  虹の、おおらかなこころが、ものを取捨せず、もののすべてを包容しているのだ。

 私は、よくこの句を書いて、人の長たるひとに贈る。人の長たるひとのこころは、かくの如く広大無辺たれ、という意味で。

 

と書いています。

 人の長たるものには、すべてを包容する、おおらかな心が必要ということになるでしょうか。