新年、明けましておめでとうございます。

 

 今日は、白子観音寺の画像を何枚かご覧下さい。

 

 

 本当は「初詣に」と言いたいところなのですが、実際に行ったのは昨年末。

 人混みを避けて、また降雪予報を心配しての「分散参拝」になりました。

 

 

 白子観音寺は、『伊勢参宮名所圖會』(1797年)に、

 

 白子観音 真言宗なり。寺家村にあり。(略)白子観音、又子安観音と云うて、婦人妊娠に是を祈る。 

 

とあるように、宗派は真言宗で、通称「子安観音」。

 

 十返舎一九『東海道中膝栗毛』五編下には、

 

 子安観音の別れ道にて

 風を孕む沖の白帆は観音の加護にやすやす海わたるらん

 

 門前の石柱にも「子安観音寺」、仁王門の標札にも「安産霊場 子安観音寺」と書かれています。

 

 私も二十数年前、ここで妻の安産を祈願した覚えがあり、この日もそれらしきご夫婦を、何組か見かけました。 

 

 

 残念なことに建造物は1945年、仁王門を除き焼失したとのことで、他は戦後の再建。

 

 

 現在は平屋の本堂も、

 

 

伊勢形紙業組合『形紙の起原と沿革』(1929年)の「寫眞版」をみると、かつては二層だったようです。

 

 

 続けての画像は『伊勢参宮名所圖會』の挿圖「白子観音寺并不斷櫻」。

 

 日永の追分で東海道と分かれた参宮街道は、白子観音寺の門前で南に左折、伊勢へ通じていました。

 

 また、右に二層の「観音堂」、左に「不斷櫻」が描かれています。

 

 

 現在、「白子不断桜」は、国の天然記念物。

 

 火災による損傷は受けてはいるのでしょうか、『紹巴富士見道記』(1567年)*に、

 

 朔上巳成に 白子観音寺に不斷櫻とて名木あり 賢輔句あり 彼寺にて興行

 後そ見ん春は外にもさくらかな

 

と書かれている由緒ある桜です。

 

 満座の後 淸渚の玉藻拾んと門外に出けるに 網引舟より何よけなんと求て歸りぬ

 

 連歌の会が催され、会席が終えた後、玉藻を拾おうと、渚に出て、

 

 桃花節には 神戸蔵人殿御城に入ぬ。御興行

 

その日のうちに、神戸の城へ入っています。

                 (次回は、その神戸城の予定です)

 

* 内藤佐登子『紹巴富士見道記の世界』(続群書類従完成会, 2002年)

 

<2021年1月3日追記>世田谷区教育委員会『伊勢道中記史料』(1984年)見ていたら、江戸時代の参宮覚・日記等に、次のような記述を見つけました。

 参宮の道すがら、白子の観(世)音に立ち寄る旅人も多かったのだろうと思います。

 

・「伊勢しろこ子安くわんぜおんへまいる」

                    (弘化二年、喜多見田中家)

・「白古かんおん、此寺内ニふたんさくら夏冬花有」

                    (文化三年、喜多見小泉家)

・「白子観世音江参詣」      (天保十二年、上野毛田中家)

・「白子へ一り半 観世音参詣、無断桜有」

                    (天保四年、下野毛原家)

・「白子観世音江参詣、境内ニ不断桜名木有」

                    (天保六年、等々力豊田家)

・「白子の観世音ニ参詣仕候」(文化四年、太子堂森家)

・「白子山子安観世音ニ参詣し開扉」(嘉永五年、大場家)