「福王山」については4年前に一度取り上げたことがあるのですが、今日はその続編。
まとまりのない内容になってしまうのですが、その後に気付いたこと・思いついたことなど、書いてみたいと思います。
一つ目は、田口集落の鳥居・石灯籠手前の道標。
表面は、「毘沙門王 是ヨリ廿一丁」で、
裏面には「文化」の文字。
文化年間(1804~1818)の建立ということになるでしょうか。
二つ目は山名。
上図は1891年測図の二万図「龍嶽」で、「毘沙門」の北西に、福王山591mとの注記があります。
藤堂元甫『三国地誌』*(1763年)の巻之十五伊勢國朝明郡に、
〇福之山 按、田光田口村にあり、南北一里杉の大木生す
安岡親毅『勢陽五鈴遺響』**(1833年)の朝明郡卷之壱にも、
福王山 同處ニアリ麓ヨリ十八町登リ、樹木森鬱トシ秀タル圓山ナリ方俗福ノ山ト云フ桑名領主ノ用材ヲ殖ラル處ナリ
とあるので、「福王山」は、「福之(ノ)山」とも呼ばれていたのであり、また、杉の大木が生えていて、桑名藩の御用林もあったようです。
現在は、三重森林管理署北勢森林事務所の福王山国有林です。
三つ目は、「毘沙門天」について。
現在は、鳥居も作られ、
1920年修正測図の五万図「御在所山」では、「福王神社」に変わっているのですが、
鳥居の前にある、菰野町教育委員会の説明板によれば、福王神社の祭神は「毘沙門天」です。
毘沙門天は、「長阿含経」***第四分世記経の四天王品第七に
是須彌山北千由旬有毗沙門天王王有三城
とあるように、須弥山の北千由旬(由旬は距離の単位)に城が有り、
毗沙門王常有五大鬼神侍衛左右
常に鬼神が左右に侍衛している。
此五鬼神常随侍衛毗沙門王福報功徳威神如是
なお、「増壹阿含経」***卷九慚愧品第十八では、
北方天王狗毗羅将羅刹鬼衆侍從
と「北方天王」のクベーラで、鬼神羅刹が侍従しています。
古代インドの神 「クベーラ」の別名が、「ヴァイシュラヴァナ」であり、その漢訳が「毘沙門」という事情のようです****。
それが西域~中国で武神・軍神に変容し、さらに日本に入り、宝船に乗る七福神の仲間入り。
えびすや大黒さんのように福々しい神々の中に、唯一怖い形相の甲冑姿で描かれることになりました****。
クベーラ、別名ヴァイシュラヴァナは、古代インドにおける福徳の神。
「福王山」あるいは「福の山」という地名と、福徳の神毘沙門天が祀られていることとは、やはり関係があるのでしょうか。
先ほどの『勢陽五鈴遺響』に、
山上ニ九尺四方許萱葺ノ堂アリ長三尺計毘沙門天ヲ安置ス
とあるので、同書が完成した天保年間には、毘沙門天を安置する萱葺きの堂があったということになります。
上画像は、杉の巨木に囲まれた現在の社殿。
萱葺きではないので当時の建物ではないのでしょうが、手を合わせ、福徳を祈願してきました。
*『三国地誌 上』(大日本地誌大系刊行會、1916年)
**『勢陽五鈴遺響 三』(鈴木嘉兵衛、1883年)
***『大蔵経 縮刷』(博文閣、1914年)
****水上文義「毘沙門天」、『しにか』1995年1月号