上画像は、四日市あすなろう鉄道のポスター「ARUKU」

 

 歩く♪発見♪新しい四日市♪

 鉄道にのって 駅から歩こう

 

 

 今日は、四日市あすなろう鉄道に乗って、西日野駅から南部丘陵公園を歩いてみた折の画像をご覧ください。

 

 

 西日野駅前はロータリーの工事中。 

 

 

 笹川中学校と四日市南高等学校の間の舗装道路を南に進むと、上画像の道標が見えてきました。

 

 西日野駅まで650m/南部アルプス縦走路 登城山山頂

 

標高64mの登城山で、

 

 アルプス !? & 縦走路!?

 

という気がしないでもありませんが !(^^)!

 

 

 都市圏活断層図「四日市」を見ると、南部丘陵の東縁を走る四日市撓曲は、西側隆起の逆断層。

 

 南部アルプス縦走路は、その断層に沿って南北に伸びる約6km、1時間半ほどの散歩道です。

 

 

 さて、縦走路に入り、上画像の道標で右折、

 

 

続けて、上画像の道標で左折したら、

 

 

 「登城山」の山頂に到着しました。標高は64mです。

 

 

 展望は東方のみですが、遠方に、石油化学コンビナートらしき、赤白の煙突が見えていました。

 

 

 ところで、この登城山には、現地の案内板に、

 

 また、鎌倉時代には日永城があり、日永(長田)楯三郎が城主として城を守っていたが、1204(元久元)年4月、「三日平氏の乱」により落城した。

 

とあるように、日永城跡の伝承があります。

 

  『吾妻鏡』*第十八の元久元年五月六日の條に、

 

 凡張本若菜五郎城郭構處。謂伊勢国日永若松南村高角關小野等也。

 

と書かれているので、日永は、三日平氏の乱の張本人である若菜五郎が城郭を構へし處。

 

 ただ、駒田利治「四日市内の中世城館」**によれば、

 

 登城山あたりに築かれたように伝えられていますが、現在の登城山とされている所は馬の背の地形をしているので、城を築くには困難であり、むしろ四日市南高等学校のあたりの先端部の方が、条件が良かったのではないかと考えています。

 

現時点では、特定困難という状況のようです。

 

 

 さて、縦走路に戻り、さらに南に進み、

 

 

舗装道路に出たところに、上画像の看板がありました。

 

 この南部アルプス縦走路は、味の素株式会社東海事業所など四社と地元の方々の協力により2017年に整備され、2018年1月に再スタートしたもののようです。

 

 

 

 しばらく舗装道路を歩くと、南部丘陵公園の駐車場。

 

 ここからあすなろう鉄道の泊駅まで、東に1500mなのですが、

 

 

私は南部アルプス縦走路をさらに南へ。

 

 

 再び丘陵の上にあがると、

 

 

芝生の広場があり、

 

 

 気象庁津地方気象台の

 

 

「アメダス 四日市特別地域気象観測所」がありました。

 

 

 アメダスから、坂を下ると、また別の駐車場。

 

 横断歩道で、交通量の多い県道44号宮妻峡線を渡ると、今度は、南部丘陵公園の南ゾーンです。        (次回に続く)

 

*『日本古典全集第1回 吾妻鏡第四』(日本古典全集刊行會、1927年)

 

**『四日市市史研究』第7号(四日市市、1994年)