(前回より続く)

 

 

 筆捨山山頂から、

 

 

羽黒山分岐まで戻り、次は羽黒山へ向かいます。

 

 羽黒山までは、1.2Kです。

 

 

 『伊勢参宮名所圖會』巻二(1797年)に、

 

 羽黒山 関の中道より二十町斗北に岩山あり。

 

と書かれているように、標高は低いものの、こちらは岩山。

 

 

何か所も岩場も巻き、

 

 

道も少々、荒れ気味でした。 

 

 

 その中で面白かったのは、上画像の洞窟状の穴。

 

 岩の間を斜めになって潜り抜けるのが、登山ルートです。

 

 

 上画像は、潜り抜けた後、その岩穴を振り返ったもの。

 

 恰幅のいい方、大きなザックを担いだ方だと、途中で閊えてしまうかもしれません。

 

 

 さて、分岐から45分ほど、細かな登り下りを繰り返したところで、羽黒山山頂に到着しました。

 

 

 四等三角点で点名は「羽黒山」、標高は290.36mです。

 

 

 南には錫杖ヶ岳、

 

 

 北には四方草山、

 

 

北西には高畑山(右)と溝干山(左)が見えていました。

 

 

 さて、展望を見ながら昼食を摂り、正法寺へ下山しはじめたのですが、

 

 

羽黒山から15分ほどの下ったところで、上画像の道標を見つけ、羽黒神社に寄ってみることにしました。

 

 

 社務所の右手にある、

 

 

白い鳥居から急な石段を登ってみると、

 

 

フェンスで閉鎖されてはいるものの、岩屋が見えてきました。

 

 

 近づいてみると、大きな岩窟。

 

 連歌師里村紹巴の『紹巴富士見道記』(1567年)*に、

 

 後の山へ登る程 十町に餘り 岩屋にこそあれ 羽黒影向の跡と讃給ひて 和尚

 年々に巣かへる鷲の山とてやおとす羽黒の餘波成らん

と書付て 拝殿よりくだる

 

とあるのは、ここのことでしょうか。

 

 「影向」を、『全訳読解古語辞典 第三版』(三省堂)で引いてみると、読みは「やうがう」で、意味は「神仏が仮の姿にかえて、この世に現れること。

 「餘波」の読みは「なごり」で、意味は「名残」。

 

 羽黒神社のご神体は、この岩屋なのかもしれません。

 

 また、『伊勢参宮名所圖繪』(1795年)巻之上には、

 

 巖中に小祠を籠めたり。則出羽國羽黒山をうつせしといふ

 

と書かれていました。

 

 さて、羽黒神社を参拝した後、先ほどの分岐に戻り、

 

 

5分ほど下ったら、鳥居のある羽黒山口に到着。

 

林道羽黒線に出ました。

 

*内藤佐登子『紹巴富士見道記の世界』(続群書類従完成会、2002年)