上画像は、旧大山田村(現:伊賀市)下阿波にある芭蕉の句碑。

 

 地衣類が着生して、読みづらかったのですが、

 

 

 脇にある案内板をみると

 

 からかさに 押しわけみたる 柳かな

 

 

 場所は、国道153号須原大橋の東詰。

 

 柳の根元にも新しい句碑があり、こちらにも、

 

  からかさに 押しわけみたる 柳かな

 

と刻まれていました。

 

 出典は『炭俵』(元禄7年、1694年)の「春之部発句」*、

 

 傘に押わけみたる柳かな

 

の句形で、季語は「柳」です。

 

 素竜の序によれば、野坡・孤屋・利牛が芭蕉庵で此の集の撰を思い立ったのが元禄6年の10月で、芭蕉が帰郷すべく江戸を出立したのは翌7年の5月11日*。

 そして、素竜の序が同年閏5月3日付、刊記が同年6月28日なので、元禄7(1694)年の春、芭蕉庵のあった江戸で詠まれた発句ということになるでしょうか。  

 

 

 ところで、この句碑の右隣に建っているのは、名号碑。

 

 「南無阿弥陀佛」の六字名号です。

 

 

 側面を見ると、

 

右 京 なら 大坂

 

とあるので、津から伊賀上野へ通じる、伊賀街道の道標を兼ねていたのかもしれません。

 

 先ほどの案内板によれば、建永二年と建碑です。

 

*『新日本古典文学大系70 芭蕉七部集』(岩波書店、1990年)